お洒落とは無縁な僕の生活(38)
令和五年四月十六日(日)
朝起きて、台本を書く。おおよそ2000字書いた。それだけでも最近の自分にしては十分すぎる内容である。満足して、仕事を終える。
ここ最近は『僕の心のヤバいやつ』にハマっている。1巻や2巻は下ネタやギャグの目立つ作品だけれど、先へ進むにつれて、心の繊細な動きを丁寧に描写している、名作恋愛漫画へと変貌していく。特に3巻からは面白いラブコメだ。じゃっかん癖のある絵柄のせいか、よくキモち悪いという評価も見るが、それはアイシールド21を描いていた稲垣理一郎曰く、エンタメにとったら褒め言葉らしい。
確かに、そうかもしれない。気持ち悪いということは、突き抜けた何かがあるということだ。それに生理的嫌悪を抱く人もいる。でも逆に突き刺さる人もいる。中途半端よりかは、突き抜けた面白さのある作品のほうがよい。僕がただの「上手い人」に惹かれないにも、きっとそういう理由があるんだろう。
一般的な基準では下手でも、どこか惹かれるところのある絵、音楽、漫画。そういったものに興味を持っている。
岡本太郎は言った。「下手でいい」と。むしろ「下手であれ」と。もちろん、わざとらしい下手は、すぐに見抜かれてしまうから、なかなかそれも天才や天然のなせる技で、そう簡単にそういう局地には至らない気がするけれど、確かにそうだなぁと共感させられる。
よく言う、上手い文章、伝わる文章というのにも、僕は惹かれない。
むしろぎこちなく、文法としてはおかしいけれど、何か引っかかりがあって、そこが妙に心に残ってしまう。そんな文章を求めたい。もちろん、自分自身の目標としても。
話が逸れてしまった。ともあれ、僕は『僕の心のヤバいやつ』にハマっている。それと同時に、『スキップとローファー』にもハマっている。こちらは恋愛要素ではなく、むしろ高校生たちの成長物語──青春ものなのだが、恋愛要素がないわけではない。実際、付き合ったり別れたりするわけだし。この二つにハマっているのを自覚したとき、友人に「恋愛ものが好きだよな」と言われたのを思い出す。好きな子から「ロマンチスト」だとも言われた。今の僕には、それが褒め言葉なのか、あるいはけなした言葉なのかはわからない。ただ少なくとも、僕にとっては嬉しいものじゃなかった。
男の人を指して「ロマンチスト」と言うと、何となく夢見がちというか、子供っぽいというか、女々しいというか、そんなイメージを抱いてしまう。もちろんそれは偏見だろうし、僕の勝手なイメージに過ぎないんだろう。でも本音をそっくりそのまま話すと、やっぱり嬉しくはなかった。それならもっと「男らしい」と言われたほうが嬉しい。これは僕のコンプレックスなのだろうか。
昔から、男らしいと言われたことはなかった。どちらかというと女々しい側で、「繊細」だとか「感受性が強い」だとか、とにかく気にしいの男なのだ。こんな男はモテないよな、とわかっていながらも、人を好きになってしまう。そしてその子から「ロマンチストね」なんて言われると、まるでバカにされたような気分で、「そうなんだよねぇ」とへらへら笑いながらも、心の中では「そっか、ロマンチストか」と落ち込んでいる。
でも、だからといって自分の好きなものを否定する気分にはならなかった。好きなものに罪はない。それに、今さら男らしくなろうとしたって、なれるものじゃない。僕は人間の性質はそれなりに大事だと思っている。それが個性だし、否定していいものじゃない。つまり、僕はそういう人間だっていうことを、一応は認めている。
矛盾を抱えながら生きている。自分の性質を認めているけど、決してそれを指摘された言葉は嬉しくない。大好きな映画や、大好きな漫画は、確かに恋愛要素が多いけど、男の僕がそれを大好きだと宣言するのは、やはりどこか恥ずかしさというのか、抵抗があるのも事実だ。
漫画を読みながら、ふとそんなことも考えた一日だった。