お洒落とは無縁な僕の生活(13)
令和五年三月二十二日(水)
一日だけサボろうかと思ったが、なかなかそうもいかなかった。
これが習慣になっているということなのだろうか。歓迎すべき点だけではないような気がして、胸がざわつく。まるで強迫観念だ。僕はそういうのはきっと好きじゃない。もっと自発的に、楽しんで日誌も書きたいものである。
が、書いてみるとやっぱり楽しい。文章にはそういうところがある。書き出すまでは億劫なのに、書いてみるとリズミカルに、悠々自適に、勇敢に、心躍るように書ける瞬間があるのだ。
これをどう形容すればいいか、僕にはわからない。とにかく臆病になっているのだ。それを乗り越えなければ。
小説については、連作を思いつく。短編集だ。自分のいるような、田舎の、寂れた街を舞台にした作品。どちらかといえば街そのものが主人公であるかのような、全5編から6編の連作短編集を思いつく。タイトルもそこそこ良さそうなのが出来る。この感覚は大事かもしれない。紙に書き留めようかと思ったが、それを躊躇する。書いてしまうと、ぱっと逃れてしまいそうな気がする。だから、頭の中で咀嚼する。それが形を持ったときに、書き出すべきなのかもしれない。
パステル画は模写を描く。これも次第に義務になってきて、のびのび描いている感じではなくなっていく。明日は自由に描こう、と思う。SNSも活用しない。自分の描きたいように、描く。そう考えると、わくわくする。この感覚が大事なのだ。
友人に連絡を取るが、返信がない。僕は小心者だから、返信が遅くなり、一日、二日と経つと、もうそれだけで気が滅入る。そういう人だから、とわかっている人であれば平気だが、普段はすぐに返信の来る相手が、たまたま遅くなったりすると、もう見切りを付けられたか、という気分になる。落ち込みやすい性質なのだろうか。ネガティブに過ぎる部分は、たまに友人にも指摘されるところである。もっと自信を持って良い。そう言われる。そんなことが出来るなら、苦労はしないのであるが。
また明日、連絡を待つ。その時間を苦悩しながら。