お洒落とは無縁な僕の生活(32)
令和五年四月十日(月)
朝起きてまずは今日の予定を確認する。少し遠出をして、友人に会いにいく予定である。十時前に出発するから、その前に準備をする。髭を剃り、髪を整える。普段は髭は伸び放題にしてあるが、誰かと会うときにはちゃんと剃るようにしている。実際のところ、髭は伸びていても嫌いじゃないというか、むしろ伸ばしたい気持ちもあるのだが、似合う気もしないので、しょうがなく剃っている。
こういうのが男であることも面倒くさい一面だよな、とふと思いながら。もちろん、女性には女性の、そうでない性自認の人は性自身の、それぞれの悩みがあるんだろう。ともあれ髭を剃り終えて、十時前には出発した。
運転は嫌いじゃない。運転しながら色んなことを考える。最近ではパステル画の題材になる風景を見つけるのも好きだ。楽しみの一つで、スマホで写真を撮る。そのためにコンビニに寄ることもある。
とはいえ、さすがに駐車場を利用するだけしておいて、さっさとおさらばするのもどうかと思ったりするので、コーヒーを買ったりする。その時間も好きだ。でも思いのほか時間をそういうもので使ってしまったので、友人と会う約束をしていた時間を三十分くらい過ぎてしまった。ちゃんと事前に連絡を入れておいたおかげで、待ちぼうけさせることはなかった。
久しぶりにあった友人に、借りていた漫画やDVDを返す。ちなみにコジコジを借りていた。たまに読んでは息抜きとして楽しませてもらった。
その後、バーガーショップへ行ったり、喫茶店へ行ったりして、積もる話をする。年明けてから一度も会っていなかったので、いろんな話ができた。その中でまっ先に話したかったのは、群像に応募した小説が箸にも棒にも引っかからなかったという話である。
友人は慰めてくれるが、はっきり言って自分は迷走している。このまま書き続けてていいんだろうかと迷っている。せめて二次選考くらいは通っていてくれたら、この方向性でいこうと覚悟を決められるのだが、もはや一次も通っているかわからない状況では(群像は一次選考の結果は載せない)、自分の書いているものが誰かに届くのかどうかは疑わしい。
創作の敵はなによりも迷いだ。自信の無さだ。特に小説は絵と違って、すぐに相手に見せて反応を得られるものじゃない。それが辛い。というような話をしてしまった。いわゆる愚痴だが、友人も創作をする人物なので(イラストだが)、気持ちはよくわかってくれた。
しかし、書くしかない。友人を別れ、帰り道を運転しながら、結局のところは書くか辞めるかの二択で、もはや書くしか人生には残されていない。もちろん、根本的に書くことが好きでなければ、それは出来ないんだろうが、やっぱり僕は書きたいし、書き続けたいとどこかで思っている。
運転しながら、思い出した。たくさん書き、たくさん読むことが至上命題だ。スティーヴン・キングはそう言っていた。もう一度原点に戻るべきかもしれない。たくさん読み、たくさん書く。それを続けるしか方法はない。
帰ってきて、まだ読んでない本を眺める。この中にいつか、自分の本が並べばいいが、その未来が来るかどうかはわからない。それでも、やるしかない。結局は堂々巡りだが、それでも友人に話せてすっきりした一日だった。