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お洒落とは無縁な僕の生活(18)
令和五年三月二十七日(月)
ようやく台本に対する返事が来る。どうやら土日を挟んでいたからだけではなく、体調不良だったようだ。考えてみればここ最近、気温の変化が激しい。春が訪れ、急に暑くなっている。きっとそのせいだろう。お大事に、と返信し、台本はこのまま続きを書くことになった。
昼間、母とともに買い物へ出て、コメダ珈琲でお昼を食べる。ドミグラスバーガーが好きだ。あの照り焼きソースのようなものがたっぷりと絡んでいる肉を食べるのが、たまらなく好きである。豆乳を使った豆乳ラテを頼んだが、いまいちだった。やっぱり冒険するものじゃない。ドミグラスバーガーは美味かったのだから、コーヒーもいつも通り、ブレンドかカフェオレにしておけばよかった。
食に関しては、僕は保守的である。
冒険して良かった試しは、あまりない。それよりはお気に入りのものを追求しているほうが好きだ。より良いブレンド、より良いカフェラテ(あるいはカフェオレ)を探しているほうが、よっぽど幸せな気分になる。
自宅に帰ってきてからパステル画を描く。またいつも通りの、一日一枚のペース。しかし少しずつ、心穏やかに描いている。慣れてきたのだろうか。パステル画を描くのも、小説と同じで、ときに停滞に突入するときがあるかもしれない。それでも、きっと描けるような気がする。とりあえず、百枚まではこのペースを続ける。
短歌をTwitterであげるようになった。反応が欲しいからというのもあるが、そろそろ300首詠むのが近づいてきて、どれだけ成長しただろうか、というのを目に見える形で確認したかったからだ。
一人でも「いいね」してくれたら、その人へ向けて詠むことができる。
ときどき、内側にこもって、自分の中で良いものを追求したくもなるが、同時に外へ解放し、誰か届く人のために詠んでみたいとも思う。
人は矛盾を抱えて生きている。自分のためと、人のため。創作の源流はどちらにもある。どちらか一方ではない。むろん、バランスだから、ときにそれが傾くときもある。天秤と同じだ。重さを均一にしておくのは難しい。
そういう意味では、小説はいまは自分自身の内側にある。これが誰かに届くかわからず、もやもやしている。届けたい気持ちがあるが、少なくともネット上では、それに合ったプラットフォームは少ない。ライトノベルであれば、その限りではないかもしれないが。
プラットフォームにあったもの、反応を得られやすいものを書く、という手段もある。でも僕にできるのは、自分の呼吸で書くことだけだ。無理して書けないものを書こうとすると、ちぐはぐなものになる。何かの模倣で、どこかしらで見た小説の、劣化版にしかならない。
それなら荒削りでも、お粗末でも、自分の呼吸で書けるものを書いたほうがいい。ここ一年はそう考えて書いている。自分の書いたものを読み返しても、良い、と素直に思える。きっと呼吸が合っているからだ。
せめてこれが、誰か他の人にとっても楽しめるものであればいいのだけれど、そう簡単に事は上手く運ばなくて、今日も僕は、一人で黙々と、原稿用紙二枚分の小説を書いた。
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