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お洒落とは無縁な僕の生活(25)
令和五年四月三日(月)
映画の『RRR』を見たことで、また映画熱が再燃したのだろうか。
この日の僕は映画を見た。気になっていた『ONE PIECE FILM RED』とどちらにしようか迷ったが、どうもONE PIECEのほうは冒頭が引き込まれなかったので、もう一本の気になる映画『ジョーズ』を見た。
名作映画を見ていこうと思う。『ジョーズ』はスティーヴン・スピルバーグ監督の代表作の一つであるにも関わらず、僕は見たことがなかった。というのも、基本的にはパニック・ホラー映画は得意ではないからだ。しかしもう子供ではないし、たぶん、本来的なホラー映画(怖がらせることだけに主軸を置いてるもの)ではないだろうから、大丈夫だろうと思って見た。
すると、やはりというべきか。
スピルバーグ監督が描き出しているのは、ホラーとしての恐怖だけではなく、人間ドラマだ。島の一員としてまだ受け入れられていない、海の苦手な保安官が、海洋学者や偉そうなハンターと一緒に、海の王者でもあるサメと対峙する。
そこにはドラマがある。守るべきもの、自分の誇り、恐怖に打ち勝つ心。全てを見終えたとき、満足感に浸ることができた。なるほど、これは話題にもなるはずだ。ときに『ジョーズ』はその耳に残る音楽や、サメの恐怖を描いたものとして紹介されるけど、これほどシンプルで上質な人間ドラマはない。スピルバーグ監督や、やっぱり基本的にストーリーテラーとしての才能が溢れまくっている人なんだろう。むしろ低予算だからこそ、余計なものがなく、そぎ落とされたシンプルさが、ドラマを引き立たせている。
そういう意味では、最新の映画が何もかも良いとは限らない。予算のない、技術の乏しかった時代の映画だからこそ、人の心に届けるものを作れるという面もあるのだ。
やはり、映画は良い。映画館で見るのも良いし、自宅でこうしてサブスクを利用して見るのも良い(レンタルDVDから遠ざかったのは、いささか寂しさも感じるが)。
しばらくインプットは控えていたけれど、質の良いものをどんどん吸収していくのも大事かもしれない。特に邦画はこれまで見てきていないから、邦画もチェックしたいところだ。
たとえば『愛のコリーダ』とか。大島渚監督の、あの有名な阿部定事件をモデルにした映画である。2021年頃にリマスター復刻版が出たのだ。どちらかといえばそのタイトルを使った海外の曲『愛のコリーダ』(クインシー・ジョーンズのカバー版)のほうを知っていたのだけれど、これって何て歌ってるんだろうと思ったら、そのまま「Ai no corrida」と歌っているのだ。愛の、はそのまま、Ai noとなっている。それが結構衝撃で、映画にも興味を抱いた次第である。
余談になるけど、この曲は曲ですばらしい名曲だ。特にイントロのところなど格好良い。サビも乗りが良いし、映画は愛憎渦巻く性愛映画なのだけれど、妙に合っている感じもする。詳しく調べていないからわからないが、これは映画のテーマ曲とは違うのだろうか。たぶん、違うだろう。あくまで映画のタイトルを下敷きにした曲、というだけに過ぎないようだ。
興味は一つ覚えると、それを次々と深堀りしていける。それが楽しく、人間の知識のすばらしいところである。
映画は『ジョーズ』を見たが、読書も再開しようかと思って、田中慎弥の初単行本『図書準備室』を読んでいた。「図書準備室」と「水の中の羊」という二つの短編が収録されている。デビュー作は「水の中の羊」のようだが、収録順番的に先に「図書準備室」だったので、そちらを読み終えた。
やはり純文学。主人公はこれといったキャラクターの立った人物というよりかは、文学の中に生きる生々しい人間である。
田中慎弥自身の体験が下敷きになっているのだろうか。高卒後、まったく働かない主人公が、親戚に話す台詞を中心とした、語りかけの文で綴られる。主人公は働かない理由を説明しようとして、過去を回想する。
そこに出てくるのはとある教師だ。そして彼は、その教師に挨拶をしない中学生である。
彼はやがて教師から戦時中の事件について聞かされる。
果たしてそれが、はっきりと主人公の働かない理由となっているのかはわからない。そも、主人公自身がそれを否定している。「説明ですらない。これはただの話だ」と。しかし、はっきりとはしなくとも、どこかそこにしこりのようなものが残っているのを、読者は感じ取る。
そしてそれは、まるで子供にしかわからないかのように、主人公が語り終えたとき、話を聞いているのは従姉妹の子供だけだ。
主人公は話し続ける。まるで話すことが、田中慎弥が作家としてデビューしたそのものを表現しているかのように。
むろん、これは解釈にすぎない。
ただの考えであって、正解ではない。
そも、文学に正解などないし、正解を求めた時点で、全てが破綻してしまう。
いや、あるいは言葉にした時点で破綻する。こうして日誌として感想のようなものを書いているけど、これもまた文学にとってはよろしくな態度なのかもしれない。矛盾の中にあって、それをどうにかこうにか泳ごうとしている。広大な海。ひとりぼっち。途方に暮れてしまう。
人は、いつだって矛盾を抱えている生き物だ。語るべきじゃないと思いながらも、語ってしまう。逆に語りたいと思っていても、語れないときがある。やめたいと思って、やめられない。やめられないのに、やめたい。
矛盾の中で詠み続けるものが、文学かもしれない。
夜。台本をプリントアウトした。仕事先に提出する前に、見直ししないといけない。とはいえ、夜は疲れているため、なかなかそれも捗らない。だからプリントアウトだけしておいて、一枚、二枚だけ見直しし、あとは翌日に回すことにした。
起床後、すぐに取りかかろう。
そう決めて、この日は寝た。
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