宇多田ヒカル:ノンバイナリー発言について思う事
先日の、宇多田ヒカルさんのノンバイナリーの発言を聞いて、正直な最初の感想は、
「あぁ、そうなんだ〜」
だった。
特別でもなんでもない、
「私、ラーメン好きなんだよね」
くらいの発言にしか受け止めてなかった。
ところが、後日大々的にネットのニュースで取り上げられているのを見て
「そ、そんなに大騒ぎになること?」
と、正直そっちの方に驚いた。
さらにはそれらの記事に寄せられている、全く的外れな逆ギレ…?じゃなくて八つ当たり。
>「難しい。覚えられない。今までの男女の感覚がやっぱり普通だと思う。」
あら、随分偏った上に、単純な世界で生きてるのね。
それは人間社会が築いた便利で都合の良い世の中ではそうでしょうけど、人間の手が加わっていない未開の自然なままの世界では、物事ってそんなにシンプルかしら?
アタシ、難しくて混沌としている、定義されていない世界の方がよっぽど自然だと思うのよね。
そうやって、混沌と、色んなごっちゃ混ぜで、どう判断して良いかわからないものを、管理者の都合で無理やりカテゴライズしておバカでも理解しやすくしたのが人間社会なだけであって、なぜワザワザ決めつけようとするのか理解できず。
挙げ句の果てに、そこにロリコンだの小児性愛者だのを引き合いに出す的外れな方達も。
「犯罪」と定義されているものと、違法ではないものを同列に扱うのはなぜかしら?
>「結婚して子供まで作っておいて!」
だから離婚したのね…とはならないのね。
っていうか、別にその時、その時の判断で良いなと思うものが違って良いと思うし、この人たちは、しばらくしてなんか違うなと思っても軌道修正してはいけないと言う生き方なのかしら?
>「マジョリティを原罪の様に言うな!」
この人は自分でマイノリティを迫害したと言う自責があるのかしら。
法で禁止されているもの(犯罪)と
ただ認められていないだけのものは全くの別物。
別に他人がどう言うセクシャリティ、性格、趣味・志向であれ、他人が、朝食に和食を食べるのか洋食を食べるのかくらい自由であってどうでもいい。
結婚だの、夫婦別姓だの
「そんなの本人が決めれば良いじゃん」
と言うことに対して理路整然と議論して賛成だ反対だ大騒ぎしていること自体が滑稽。
だって、「男女の夫婦は法で認められてる」ってことに息を巻く人たち、「子供ができなければ夫婦と認めない」とか法で定められたら「そんなのおかしい」って思うでしょ?
芸能人のゴシップで騒ぐ人も、この手の人で騒ぐ人も、政治の政策についてと言う但書を使ってるだけで、根底にある興味欲求は限りなく近いんではないかと思う。