海外在住者の日本の家族との死別
人の死について、世界は本当に驚くほどに無関心なんだなぁと思う。
世界のどこかで虐殺が行われ、多くの人が亡くなったニュースを朝に見ても、夜にはそんなことすっかり忘れてディナーを楽しむ。
先日、虫の知らせで、祖母の自宅が頭に浮かんだ。などとスピリチュアル的な事を口にしてみるワタクシ。方言のせいか、性格なのか、意地悪に感じて好きになれなかった幼少期。それでも親の実家なので、子供の頃は年に2~3回は連れていかれたものである。
ところが、高校を卒業して一人暮らしをしてからというもの、本当に数えるほどしか会っていない祖母。
コロナが明けたころ、たまたまタイミングが合い、一時帰国の際に面会に行ったことがあるのだが、祖母はその頃御年90歳。認知症を患い、足腰も悪くなり、間違いなく死に向かっているのだなぁという衰えを見せた。
アラフォーになったワタクシを見て「あら、大きくなって…二十歳くらいか?」と聞いてくる祖母。認知症のためではなくワタクシのたゆまぬアンチエイジングのたまものという事にしておく次第ではあるが、もはやロクにコミュニケーションも取れなくなっていた。
しかし、関係が遠かったこともあり、デフォルトで彼女のことを考えることはほぼなかったので、祖母の家が頭に浮かんだ時「なんで今更このタイミングで浮かんできたんだろう」と思った。
…なんだか不思議だなぁとは思っていた
ら、
数日経ってから実家から「あなたの祖母が1週間前に亡くなりました。もう葬儀も済ませ、遺品も片付けてきました」と。
いつもながらの事後報告。
危篤になったことも知らされていないし、亡くなったことも事後報告。
「迷惑をかけるといけないから」という親の配慮なのだが…
…ワタクシがどのようにその人との死に向き合い、どのように悲しむかの権利はワタクシは昔から与えられない。
話しはシフトし職場にて。
直属の上司、オフィスの上司、そして、リージョンの上司が揃って休暇中@その時点でお前ら何考えているんだとは思ったが。
ワタクシには再三「その間はアレがあるから休み取らないで」「ほかの(平社員)メンバーも休みたいって言ってたから申請待って」とかカジュアルに言ってくる。どの口が言うと思うが。
そんな折、ただでさえ忙しい状況で切羽詰まってる中、チームメンバーの一人が露骨にずる休み。
だって、シックリーブといいながら彼女のインスタに上がってる子供とのカフェでの楽しそうな写真はあまりに配慮に欠けているから。
ただでさえワタクシはこの数年有休をすべて消化していない。
そのような腹いせが募り、すでに亡くなってしまった祖母の事をワタクシはさもまだ生きているように扱い上司に連絡をした。
「昨夜、家族から連絡があり、祖母が危篤だと知らされた。就業規則に規定されている権利にのっとりお休み追頂いて日本に帰らせて頂きたい」と。
そしたら平然と
「(リージョンのリーダーが戻る3日後に当たる)水曜日まで待てる?」
と返事が。
祖母は、隣町に住んでいるわけではなく、オーストラリアに住んでいるワタクシが日本の祖母に会いに行くのは相当な時間とお金がかかる。
…例えばこれ、本当にまだ生きているとして、この返事は本当に妥当だろうかと考えた。その3日間で亡くなり、死に目に遭えなかったらこの人はどうしてくれるんだろうか。
ここで悪者は3人登場する。
まずは、危篤の状態を隠し、亡くなったことも隠し、葬儀も済ませた上で事後報告にし、何度言ったところでワタクシにお別れの仕方を昔から選ばせないワタクシの親。
二人目は、「危篤だ」といってるのに平然と「3日待てる?」といってくる休暇中のバカ上司
そして、3人目は、祖母の死を利用して、休暇の差し込みを企てるこのワタクシに他ならない。
実感がわかないワタクシは、なぜだか呆然と、他人事のように達観し、人の命、他人の命などというものは、世間からしたらこのようなもので、何事もなかったかのように地球は回り、また別の日が巡ってくるだけなのだなぁという無常をただただ感じるのであった。
ワタクシを含む各登場人物がどのように感じていたか、それぞれのドラマは別とし、祖母の死がそのように扱われているように見えてしまうこの状況を、ただただ寂しく感じるワタクシ。
今は遠く離れ、文字でのみの報告を受けているため実感はわかないワタクシであるが、日本に帰ってお墓参りをしたら絶対に泣いてしまう事は分かっているのだが、そんな自己陶酔のような涙にも罪悪感を感じてしまうワタクシなのであった。