見出し画像

ジロリンタン備忘録210913

 見出しの写真は、1978年3月14日に今は無きワールド・トレード・センターの2階メザニンで展望台の入場券を購入するための列に英米のミステリー作家たちが並んでいるところ。ちょうど、第2回国際犯罪作家会議がニューヨークで開かれているときで、昼間にニューヨークのダウンタウン巡りをしていた。木村二郎著『海外ミステリー作家の顔』ヘラルド出版、1979年刊より)

 2021年9月11日は、ニューヨークやペンシルヴェニアでアメリカ同時多発テロ事件から20周年記念行事が行なわれていたので、たぶんおれがこの事件に関して書くのもこれで最後にしようと思った。
 ワールド・トレード・センター(WTC)のツイン・タワーズは1972年と73年に建設が終わった。それまでは、当然のことながら、少しずつ建設が続いていた。どこかで書いたと思うが、おれの通っている大学はニューヨークの官庁街と金融街のあいだにあり、大学に通っているとき、WTCはずっと建設中で、だんだん完成に近づいている姿がパーク・ロウの道路から見えた。
 完成と卒業がほとんど同じ頃で、そのあともニューヨークにとどまり、WTCの地下の本屋とかに行ったり、地下鉄の駅を利用したりしていた。1977年に三修社から出した『ニューヨーク徹底ガイド』(小鷹信光氏共著)の取材で、WTCを訪れている。「世界貿易センター」の項で今頃、誤植を見つけるとはね!
 それに、見出しの写真にもあるように、1978年には国際犯罪作家会議の取材のために、一緒に展望台に登っている。写真には、エド・ホックのほか、デズモンド・バグリーやブライアン・ガーフィールドの顔が見えるぞ。
 ツイン・タワーズは日本人のヤマサキ建築事務所が設計したらしいが、建設・完成当時はそれほど評判がよくなかった。確かに実用的で機能的だが、独創性とか芸術性に富んでいると思う人は少なかった。
 あの事件の後、おれが翻訳したあるミステリー小説でツイン・タワーズの描写が出てくる箇所があった。あまり褒めている描写ではなかったので、作者(名前と作品名は伏せる)の真意を確かめるために、このまま翻訳してもいいでしょうか?という確認のファックスか電子メールを送信したら、その描写箇所(パラグラフ全体)を削除してほしいという答えが返ってきた。
 WTCはよくも悪くも、確かにアメリカ資本主義の象徴だが、3000人以上の人命を奪ったり、建物内のある財団が所蔵している世界的に貴重な美術品まで破壊したりするほどのものだろうか? アラーの神はこういうことを本当に信者に求めていたのだろうか?
 2001年9月11日、おれはTVでツイン・タワーズが崩れるところを観た。久米宏のニューズ番組だったと思う。おれが長年住んだ街が壊れていく、おれがよく歩いた通りが埃だらけになっていく姿を観た。
 ぜひ、この事件の真相を調査したFBIの機密資料を開示してほしい。//

いいなと思ったら応援しよう!

木村二郎
文章を売るのが商売なので、金銭的な支援をしてくださると嬉しいですが、noteの支援方法が面倒なので、ネット書店でガムシュー・プレス刊か扶桑社ブックス刊の木村二郎著書を購入していただくほうが簡単で、大いに助かります。もしくは、「スキ」をたくさんください。よろしくね。