ジロリンタン備忘録210722
7月21日の午前2時過ぎに、新しい情報がないかと思って、メールをチェックすると、Crippen & Landru のジェフリー・マークスから訃報が届いていた。
7月15日にワシントン州ヴァンクーヴァー(カナダのヴァンクーヴァーとは別)で、ウィリアム・F・ノーランが感染による合併症のために穏やかに死亡したという。93歳だった。ということで、このnoteに書く前に、いろいろと資料集めを始めたら、あっと言う間に3時になったので、ベッドに就いた。
堅苦しい死亡記事はマルタの鷹協会の会報フライヤー秋号に載せるので、ここではおれの私的なノーランの印象をざっくばらんに書こう。
ノーランはマイケル・ヨークとジェニー・アガター共演のSF映画《ローガンの逃亡》の共同原作者(ジョージ・クレイトン・ジョンソン)として有名である。そのあと、TVシリーズ《未知への逃亡者/ローガンズ・ラン》にもなった。
それよりも、おれにとっては『ダシール・ハメット伝』(晶文社)の著者、ハメット研究家として有名である。SFやホラー界でも、いろいろな賞を取っているが、1969年刊の Dashiell Hammett: A Casebook で Mystery Writers of America (MWA) から1970年に特別エドガー賞を受賞した。このことは、MWAウェブサイトのエドガー賞リストにも載っていないが、本当である。グーグルで検索したら、確かめられるはずだ。これは、ハメットの作品と人柄を書いただけの薄い伝記だが、70年代前半のハメット研究の草分けになった。1983年間の『ダシール・ハメット伝』のオリジナル版と考えられる。
そして、1971年刊の Space for Hire でエドガー賞(ペイパーバック部門)候補になった。エドガー賞を受賞したものとノーラン自身も信じているようだが、受賞ではなく候補である。候補者は候補作賞状を受け取るので、それを受賞作賞状と誤解したのだろう。これはサム・スペイドの未来の末裔である火星の私立探偵サム・スペイスが未来の宇宙で活躍するするパロディーである。
おれがノーランに2度会っているが、初めて会ったのは、1978年6月にLAで催されたチャンドラー・ツアーに参加したときだ。ちょうど、そのとき郊外のアグーラ・ヒルズに住んでいたノーランも参加していて、ツアーが終わったあと、インタヴューに応じてくれた。このインタヴュー記事は拙著『尋問・自供』に収録してある。
2度目は、1985年3月、小鷹信光氏と一緒にアメリカ西海岸へ国書刊行会刊『ブラック・マスクの世界』の取材に行ったときだ。ノーランの自宅アグーラを尋ねた。このときのインタヴュー記事は『ミステリマガジン』85年10月号に掲載され、後で『ブラック・マスクの英雄たち』(国書刊行会)に収録された。
最近はノーランの写真をときどきSF関係の記事で見かけていたが、ワシントン州ヴァンクーヴァーに2010年頃にアグーラから引っ越していたとは知らなかったなあ。
ハメット伝の最新改定版を出したいとも言っていたが、多作家のノーランも書く時間がなかったのかな? マル鷹フライヤー秋号に死亡記事を書くときは、この記事を基にして、もう少し記録を盛り込んだ文章を書くことになるだろう。
おやっ、もう3時になったから、そろそろ眠たくなってきたぞ。では、またお会いしよう。