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海外移住:コスパ・タイパの悟りに背き、強欲な人生を歩むということ

学部生の頃、短い間留学をした。
脳神経内科医になった時、またキャリアのためにはどこかで本格的に留学をせざるを得ないだろうなと思っていた。
再び大学院生になって、キャリアの実利的メリットがないから留学は絶対しないだろうなと思っていた。

そして博士課程の終わりに、海外でポスドクの職を得た。
スキルと知識の獲得のための海外移住だ。

これが吉と出るか凶と出るか皆目検討もつかないが、吉凶は実はどうでもいい。けど、未来の自分が振り返ることができるよう、なぜ私がポスドク、しかも海外という道を選んだのか、書き記しておこうと思う。

「必要なこと」で気を紛らわせていないか

スマホをいじっていたら休憩時間があっというまに終わってしまった。
どこにランチに行くか考えたら休日の午前が終わってしまった。
片付けの最中に昔の思い出が出てきて、読んでるうちに一日が終わってしまった。

こんなことはないだろうか。私はある。

スマホは情報収集になる。ランチを失敗しないために情報収集は必要だ。過去の思い出に浸るのも完全に無駄な時間ではない。それが人生を損なわないのなら。

意味がある事と必要なことは別物である。話を広げよう。

準備を言い訳にして、本当に必要なことを後回しにしていないだろうか。
スキルアップに追われ、本当にやりたいことを忘れてはいないだろうか。

私は、そうだ。

いつかくる収穫のために歯を食いしばる事も時には必要だろう。そんな時、僅かばかりの前進は焦燥をまぎらわせる鎮痛薬だ。
その前進に甘え、収穫のデッドラインを自分で曖昧にしていないだろうか。
千里の道を行く事を決めたのに、一年で一里しか進まなければ、決して目標にたどり着くことはない。

「いつか」を人生に引き起こす覚悟を持っているだろうか。
「いつか」がいつまでも来ない事を受け入れたり望んでないと断言できるだろうか。

私は、そうではなかった。

だとしたら、きっとこの先いかに勤勉に生きたとしても、自分が死ぬ間際に
「必要な事しかしてこなかった」
と後悔するだろう。

コスパ・タイパ以外への執着

コスパ・タイパが人気のこのご時世、自分が掲げた目標なんてものは邪魔でしかない。目標という執着を手放し、人生やキャリアにおいてすらも客観的に計量してしまうコスパ、タイパを最大化するという教義は一定の支持を集める。

さらに、ある程度の自己投資をして知識と専門性を習得すればあとは、その人的資本を最適レートで換金するのが効率的だ。実際問題、自分の専門領域の疾患なら人並みには治療できるし、それで食っていける。

脳神経内科として一人前なのに、博士号をとったばかりの神経科学者として働くコスパは著しく悪い。母語で科学を語れる学問体系があるのに、非母国語圏で研究生活するのもタイパが悪い。
最も効率的なポジションに居座り続け人生の最後に、
「あぁ^~コスパもタイパも最高の人生じゃったぁ」
と満足して呟けるなら、それはそれで一種の無欲な悟りの境地だと思う。

だが、自分はそのタイプではないと気づいてしまった。

このまま機を逸し、堅実安定な現状維持で逃げ切っても、きっと執着と未練に屈する事になる。
一日の終わりに、もう暗くて本が読めないなと呟くように、
きっと一生の終わりにも、もう衰えて何もできなかったな、と呟くことになりかねない。

必要なことからやりたい事へ

もとから海外での生活はどこかのタイミングではやりたいと思っていた。
けど様々な理由をつけて今じゃないなと考えていた。

そして博士課程の最終年次で、いくつかの偶然が重なりポスドクのオファーを受けた。ニューロテックで起業するつもりで博士課程に進んだけど、それも博士号取得の準備している間に先送りにしてしまっていた。

幸か不幸か、何のビジネスも所有していないから身軽だったし、博士号取得は勝ち確になっていたし、後の妻である交際相手も反対しなかった。

ああかつて「いつか」と思っていたタイミングは「今」なのだなと思った。たしかに海外に行くことは必要ではない。けど、いつか行きたかったし、必要ではないがやりたい事をするなら今がチャンスだ。

(実はここでも私は先送り癖を遺憾なく発揮し、卒後1年はグラントにチャレンジしまくって自分で研究費獲得してから渡米するつもりだったけど、周囲から猛烈に今すぐ行けって言われたので卒後半年で行く事になった)

将来のこと

米国でポスドクするって言うと、特に立派な経歴の人からは「お、将来教授を目指す気になったの?」と聞かれる。

この界隈だとキャリアアップの一貫としての海外での雇用を「ポスドク留学」と表現する事が多い。現地に根付いてそこで教授を目指すキャリアの人と区別するため、帰国予定がある人を留学と表現するのはわからなくもない。また所属ラボの指導教官や教授の意向で経験を積ませるために留学させる事もあるからその場合は留学と言っても差し支えないだろう。

しかし自分はキャリアアップというわけでも、ボスの紹介というわけでもない。ローマに観光に行く人に目的を聞いても、コロッセオを見るとかジェラートを食うとかいう答えしか帰ってこず、「アジアしか行ったことがないから旅人としてのスキルを上げる」という答えは少ないだろう。

なので何しに行くの?と聞かれても自分の研究分野での新たな発見と論文作成以上の目的はないし、何のためにそれを?と言われてもせっかく自分が研究できる場所が海外にあるなら海外で暮らしながら研究したほうが人生面白そうとしか答えられない。

キャリアに箔をつけるとか、栄達を極める修行の道だとか、青雲の志をもって科学史に名を残し偉大な科学者になるとかは別に考えてないし、そういう覚悟をもってやって来てる人からしたら、多分自分は良くて異端、悪くて舐めプと言われるとは思う。

人生は何が起きるか分からないし、何なら数年前までは海外行くなんて思ってなかったら、もしかしたらどこかのタイミングで研究面での出世ガチ勢になってるかもしれないし、あるいは臨床でもアカデミアでもない全然別の仕事をしているかもしれない。いずれにせよ、将来答え合わせをする時のために、なぜこの選択をしたのかを書き記した。

ではまた、未来で。


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荒神弥哉
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