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悪魔は脳の中に:神経科学が照らす一夜
これはSFだが、ロケットも宇宙人も登場しない。登場する最も最先端のテクノロジーは、ガソリン自動車だ。しかし以下は全て科学的事実に基づく(Science)架空の物語(Fiction)だ。
あなたはお気に入りのバーのカウンター席に座り、グラスを片手に雑誌を読んでいた。今夜は客もまばらで、奥のソファにもう一組いるだけの静かな晩だった。
突如、ドアが勢いよく開き、一人の男が駆け込むように入ってきた。
ひどく怯えた様子だったが、客の顔を見て緊張が僅かにやわらいだようだった。彼はあなたの隣に腰をおろし、ウイスキーを頼むとグラスが出るのを待たずに話しかけてきた。
なあ、あんた聞いてくれ。いや、誰でもいいんだ、お前は人間だよな?この世の人間なら誰でもいい、とにかく聞いてくれ。
男の前にウイスキーが出された。それを一息に飲むと、少し落ち着きを取り戻したようだった。
誓って言うが俺は酔っちゃいない、これが今日の一杯目だ。
俺は家に帰る途中だった。
いつも通りの道、迷うはずもない。だが、、気づいたら知らない道を走っていた。
いや、知らないはずがないが、知らない町並みなんだ。俺は、変な所に迷い込んだかなと思って、車を路肩に止めて通りの名前を確認した。なんてこった。この通りは知っている。知っているなんてもんじゃない。この通りの一本隣の通りに俺の家がある。間違いなく近所で、ガキの頃から住んでいる。ここを見たことがないなんてありえない。
けど、どこで曲がればいいかわからない。
知ってるはずの場所なのに帰る道が分からない。
俺がどこにいて、どこでハンドルを切れば家に帰れるのかわからないんだ!
何も山奥のヘンゼルとグレーテルのお菓子の家じゃないさ。道と道がワッフルの焼き型のように直交するごく平凡な住宅地だ。迷ったことなんかないし、町並みを見ながら適当なところで右折、左折を繰り返せば誰だって目的地にたどり着く。近所に誰が住んでるかも知っている。
なのに、全くわからない。誰かの家がペンキを塗り替えて雰囲気が変わったとかじゃあないんだ。全く、身に覚えのない町並みなんだ。多少走ればなにか思い出すだろうと思って車をしばらく走らせた。どの角で曲がっても、どこを進んでも、見覚えのある景色にならねえ。ちゃんとハンドル通りに車は動く。なのにどんどん街から離れていった。もう何が起きてるのか皆目見当もつかねえ。だが、引き返せばいいのかまっすぐ進めばいいかもわからない。こうなったら2つ1つ、どっちかを信じて突き進み誰か助けを求めるしかない。
そのまま半ばヤケになって車を走らせると、明かりが見えてきた。駐車場つきのダイナーだ。ラッキーだ、とその時は思ったさ、誰だってそう思うだろ?
ガラス張りで中に何人か客もいる。賑わっているようだ。まるで幼稚園児がめちゃくちゃに描いたような、積み木をひっくり返したようなぐちゃぐちゃのフォルムだ。いびつで歪んで見えるが、そういう個性的な建築を好む連中がいることは知っている。車をとめて何気なく店名を見た。
devil
悪趣味な名前だ。悪そうな輩がたむろする酒場ならこんな名前もあるだろうが、ダイナーにつけるとはな。一体どんな連中が飯を食ってるんだ、と思ってガラス越しに客席を見た。
口は耳まで裂け、目はぎょろりと釣り上がり、耳は天を突くように尖っている。顔はハロウィンのジャック・オ・ランタンほどの大きさで燃えるような目をしている。悪魔そのものの姿がそこにはあった。一人だけじゃない、客だけじゃない、店員も客も、その場の全員が揃いも揃ってこの忌まわしく恐ろしい顔をしていた。思わず叫んじまった。すると一匹の悪魔が俺を見つけて店から出てきた。俺は無我夢中で自分の車に駆け込んで車を発信させようとした。だがうまくいかない。何がうまく行かなかったのか自分でもわからないが、とにかくエンジンをかけられねえんだ。こうしている間にも奴がすぐそこまで迫ってるかもしれねえ。もう必死だった。やっとことので、最終的にはエンジンがかかった。もう後ろも振り返らず、一目散に車を走らせた。
その時このバーを見つけた。めちゃくちゃな建物でもないし、窓から中を見た感じじゃあ皆本物の人間に見えた。もうとにかく一人が心細かったから、車で来ちゃいるが、思わず駆け込んだ。
なあ俺は悪魔に取り憑かれちまったのか?一体全体何が起きていて、俺は何をしたらいいんだ。
あなたはその男の話を黙って最後まで聞いていた。男が一通り言いたいことを言い終え、沈黙が訪れるとあなたが口を開いた。
あなたは悪魔に取り憑かれた事を心配している。腕利きのエクソシストを探しにバチカンを訪れるもいいアイデアかもしれない。だが、もっとシンプルな方法もある。
見知った自宅周辺でありながらあなたは町並みがわからなかった。
もしかしたら悪魔や悪霊のしわざかもしれないが、右側頭葉のしわざかもしれない。右側頭葉の紡錘状回は町並みを認識する役割を担う。この領域に障害が起きれば、Landmark Agnosia(街並失認)が起きる。そうなると、あなたの脳の中のカーナビがおかしくなる。
次にあなたが見ためちゃくちゃな形のダイナー。しかしフランク・ゲーリーが作るような洒落た建物はこのあたりにはない。一方右後頭葉や側頭葉の病変が変形視と呼ばれる現象を引き起こしている事が知られている。物体の一部が巨大に見えたり、逆に小さく見えたりする現象だ。これが建物に対して起きたのならその建物はパースの狂った、見慣れぬ形に見える。
そしてあなたが最も恐れているであろう「悪魔」。逆に聞くけど、今日までの間、あなたは悪魔を直接見たことがあるのか?
ないだろう。悪魔の姿を道行く人に絵にかかせたら人によってバラバラだ。見たことがないんだからな。真っ赤な肌に角が生えている姿を描く人もいれば、コウモリのような翼と尻尾が生えて、槍をもっている姿を描く人もいる。
あなたが見たもの客観的に描写するなら、人の顔が異常に歪んで見えた、というのが過不足ない説明になる。脳には顔を認識するための専用のモジュールがある。街並失認と同じ、これも右紡錘状回だ。このモジュールが誤作動すると相貌変形視(prosopometamorphopsia)という症状が出現し、まさにあなたが体験したように目に映る人の顔は全て悪夢に出てくるような歪んだ顔になる。
まだ釈然としない顔をしているな。近くにWoodside villageというダイナーがあってな、駐車場に面してガラス張りの窓がある、美味しい店だ。あそこはvillageをvil.と略し、Woodside vil.という看板を出している。このへんにはダイナーはあそこしかない。あなたには看板の左半分が見えておらず、Woodsideのうちdeだけを認識し、villageの略称vil.とあわせてdevilと認識した。後頭葉が原因でそもそも視野の左半分が欠損していた半盲かもしれないし、頭頂葉が原因で左側の物体を脳が認識できなかった左半側空間無視かもしれないが、いずれにせよ最終的に看板の左側があなたの脳内では消失しdevilという文字をあなたは認識した。だからその直後に見た異形の顔が悪魔だと刷り込まれたのだろう。
悪魔を見たと思い込んだあなたはあわてて車を発進させようとしたが、エンジンがかけられなかった。慌てていたらそういうこともあるかもしれないが、別の見方もある。キーを挿し、ブレーキペダルを踏みながらイグニッションを回す。一見簡単に見えるが、順序が変わったり回す方向が違えばうまく行かない。車を始動させるこの一連の運動シーケンスを正確に実行するには脳の遂行機能を必要とする。もし脳のトラブルが起きればこの遂行機能が障害される。
さて、今日のあなたが体験したのは神経徴候のフルコースだ。街並み失認、変形視、prosopometamorphopsia、半盲、遂行機能障害。これらは悪魔がひきおこしたかもしれないし、右側頭葉でおきた異常な神経活動が原因かもしれない。最初に町並みがわからなくなったタイミングで右紡錘状回からてんかん性放電が起き、それが右後頭葉へ波及していく過程で様々な症状をあなたに見せて、エンジンが無事始動したタイミングで消失したのだろう。
あなたの脳でてんかん性放電がおきたとしても、1回だけなら必ずしもてんかんと診断されるわけじゃないが、脳腫瘍や脳梗塞、脳膿瘍の可能性もある。腕利きのエクソシストは少ないし探すにはバチカンまで出向く必要があるかもしれないが、まずは脳神経内科にかかってみるのが話が早い。
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