緑萌ゆ
「私はこのクラスの全員と、友達になりたいです!」
自己紹介で彼女がそう言った時、絶対に友達になれないと思った。
真新しい制服を不自然に着崩している。端正なプリーツをそよ風が揺らして、彼女の白い膝を晒した。
愛想よく笑う彼女はどこまでも呑気で伸びやかで、一方私はというと自閉的で鬱屈としていた。
ああいうタイプが一番苦手だ、と思っていた。できれば関わりたくない。”陽キャ”とか”陰キャ”とかそういう言葉を使えば、彼女と私は対極の立場にいて__今でこそそういった価値観は唾棄すべきだと思うのだけれど__”友達”なぞ上辺だけの表現だろうとわかっていた。
賢さとかおしゃれさとか面白さ、ノリの良さ、そういったものでいつの間にか値札がつけられて、私たちは分けられていく。短い人生の経験則として知っていた。いつからかできた歪な三角形。それは精神の未熟さの象徴でありながら、学校という私たちの狭い社会の全てだった。
話したこともさしてない相手でも、私とは合わないだろうと決めつけていた。
そうやって分をわきまえた気でいたけれど、今振り返るとたくさんの機会を喪失してしまっていたと思う。当時の、中学生に毛が生えた程度の私は偏見と先入観の塊だった。
だから、入学式を済ませたばかりのほとんど知っている人のいないクラスで、高らかにそう言い放てる彼女のことを異星人を見るような目でいた。
「瑠花ちゃん、本入部決めたって本当?!」
ある朝そう声をかけられた時、正直、しまったと思った。
仲良くなれるかはさておき、目立たず過ごして問題のない関係は築こうと誓った。
「う、うん。よろしくね」私はぎこちなく彼女に笑いかけた。
彼女はところ構わず歌った。大きなよく通る声で、とても楽しそうに。教室でも、部室でも、昼休みも、移動中も、なんなら授業中も。幾度となく先生に注意されては悪気なくえへへ、と笑う。流行りの音楽ばかり。
私は気に入ったアーティストしか聞かないから、巷で話題の音楽はほとんど彼女の声で再生されるようになった。
彼女は運動が飛び抜けてできる代わりに絶望的に勉強ができなかった。よく赤点ギリギリの答案用紙を誇らしげに見せてきた。赤点をとったら再試まで部活に参加禁止になるルールだったので、あと一点をかけて生物の先生に泣きついているところも見たことがある。いつも勉強教えてと寄ってくるわりには、30分で投げ出した。私はその横で呆れながら勉強を続け、クラスの成績上位を譲らなかった。
彼女は、女子高生とは思えぬほどよく食べた。学校近くのスーパーでいつも寄り道をして帰った。真夏に、冷房のきいたイートインコーナーでアイスを齧りながら何時間もくだらない話をした。気がつけば日はとうに落ちていて、駅までの暗い道をいつも息を切らして走った。2人、改札を抜け帰宅ラッシュの人混みの中で「疲れたね」と笑いあった。
どこまでも破天荒な彼女はエネルギーに満ち溢れていて、気が強く、明るくて、よく笑う。宣言通り、1年後にはクラスの全員と仲良くしていて友達が多かった。
「瑠花ー、部活行くよ!」
絶対無理と思っていたのに、いつからか私たちは無敵の2人になっていた。
お互いの欠点を埋め合うように、私たちはぴたりとハマった。なんでもできる気がした。彼女は私を”親友”と呼んだ。なぜ私を選んでくれたのか少しもわからなかったけど、彼女が必要としてくれたし、私も彼女を必要としていた。
青春と呼ぶに値する、無知で、鮮やかで、瑞々しい日々だった。
でも、高校三年生になった私たちは喧嘩別れで卒業した。風の噂で地元の専門学校に進学したことを聞いた。私たちの物語はここで1度途切れたはずだった。
私は喜びも苦しみも全てをそのまま押し込んで、新天地へ向かった。思い出すには色の濃すぎる記憶だった。楽しかったなぁと呟きながら、でも仕方がなかったのだと思うようにしていた。
共通の知人を介して連絡が来たのはつい1ヶ月前のことだ。
「あの時のことずっと後悔してて……」
久しぶりに見る彼女のアイコンはあの時と変わらずに黒猫だった。
3年もの時間が経って、褪せた記憶を徐々に解いていった。涙するほどの日も少なくなかった。そのくらい、当時の私も彼女も真っ直ぐに生きていたのだと思う。
喧嘩別れの原因は、ほとんど私にあった。取るに足らないいくつかの衝突を繰り返すうち、私は自分が傷つくことを極端に恐れるようになってしまった。2人でいる時は支えになった彼女の強さも素直さも、いざ私に向けられると切れすぎる刃のようだった。そうやって傷ついて、傷つけて、大切に思うほど、近づこうと思うほど壊れてしまうものもあるのだった。
疲弊した私は彼女のことを親友でない、と思おうとしていた。本当は大好きで、大切だったのにも関わらず。自分を騙すようにして少しづつ彼女から意識をずらすことで自分を守ろうとしていた。
私にはそういう狡いところがいつもあった。
いつか彼女が私が弱く浅ましいのを見抜いて離れていくことが、私を必要としなくなっていくことが怖いから。それに、元々私は彼女のそばにいるような人間じゃない。先手を打つように、逃げ道を作るように。
いつも心が通じ合ったからこそ、彼女は私の変化にも敏感に反応した。そうして私たちはバラバラになってしまった。
「ねぇ一度会って話さない?」
私たちの線は再び交差した。まるであの頃の続きのように穏やかで、青い楽しさだけが2人の間にあった。
でも目の前にたしかにあるのに、まるで手触りがない。悪夢のようにどこかでぶつりと消えてしまいそうだった。別れ際のさよならがなぜだか遠く聞こえた。自分の声だけが宙に浮いているように。
空を掴むようにふと私が伸ばした指先を、彼女が握りしめて笑った。
「またね」