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【パパの英単語語源ノート(番外編③)】英語の歴史:ローマ支配(紀元前55年~5世紀)
前回、「英国」という言葉がブリテン島(Great Britain)を指すには地理的に適切ではないと述べたが、便宜上ここでは「英国」という表現も「Great Britain」と併用する。
ローマ人によるGreat Britain支配
話は紀元前55年、あの有名なユリウス・カエサルが現在のフランス地域であるガリアを征服した後、ブリテン島へ遠征したことから始まる。しかし、当時のローマ軍は本格的に英国を支配する意図はなく、一時的な探査に過ぎなかった。
その後、紀元後43年、ローマ人によって英国は完全に征服され、正式にローマ帝国の属州として編入された。この時から、ローマ人(支配者)が使うラテン系言語と、原住民のブリトン人(被支配者)が使うケルト語系のブリトン語が約400年間共存することになる。
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意外と少ないラテン語の痕跡
この時点では、現在「イングランド」という名前の語源となったゲルマン系のアングル人(Angles)やサクソン人(Saxons)はデンマーク周辺に住んでいた。つまり、この時代まで「英語」という言葉はまだ存在しておらず、当時の英国の言語は「原始英語(Proto-English)」と呼ばれるものだった。
ここまで読むと、「英語にラテン語由来の単語が多いのは、ローマ人が400年間英国を支配したためなのか」と誤解するかもしれない。僕も以前はそう考えていた。しかし、実際にはローマ人が残したラテン語の影響は極めて少なく、現在の英語に残っているのは、マンチェスター(Manchester)やランカスター(Lancaster)など、「チェスター(-chester)」「キャスター(-caster)」「セルスター(-cester)」がつく都市名くらいだとされている。
「-chester」「-caster」「-cester」の語源
「-chester」「-caster」「-cester」は、すべてラテン語の castrum(城、要塞)に由来する接尾辞であり、ローマ帝国の支配時代に築かれた軍事拠点の名残である。
-chester:ローマ時代の駐屯地(例:Manchester, Winchester, Chester)
-caster:特に英国北部に見られる発展形(例:Doncaster, Lancaster)
-cester:発音変化を経て英国中部に多い(例:Gloucester, Leicester)
つまり、これらの都市名はローマ人が築いた軍事施設の名残として今も残っている。
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英語へのラテン語の流入時期
では、英語にラテン語が津波のように流入したのはいつなのか。それはローマ支配から約1,000年後のルネサンス時代である。この話は、また別の機会に紹介しよう。(いつになるかは分からないが)
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ローマ人によるGreat Britainの支配は400年も続いたが、そもそも英語が言語としてアイデンティティを持つ前だったため、ラテン語の影響は限定的だった。そのため、ローマ支配時代の話は短いが、代わりに二つほどカエサルに関する豆知識を紹介しよう。
豆知識①:「帝王切開」とカエサル
「帝王切開」は英語で Cesarean Section という。この「Cesarean」という語は、ラテン語の「切る」を意味する caesus に由来するとされ、カエサル(Caesar)が帝王切開で生まれたという俗説が広まったことが関係している。
ただし、現代医学的に見ると、カエサルが帝王切開で生まれたという説は現実的ではない。全身麻酔を用いた手術が始まったのは1800年代からであり、それ以前に麻酔なしでの帝王切開はほぼ致命的だったと考えられる。カエサルの母親であるアウレリアは、彼を出産後も健康だったという記録が残っているため、この話は誤解によるものだろう。
豆知識③:カエサルの後継者を名乗る指導者たち
西洋文化において、カエサルはローマ帝国を築いた偉大な統治者としてのイメージが定着し、その名を引き継ぐことが権力の象徴となった。
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ロシアの「ツァーリ(Царь)」やドイツの「カイザー(Kaiser)」、さらにはオスマン帝国の「カイサル・イ・ルム(Kayser-i Rûm)」やエチオピア帝国の「ネグサ・ネグスト(Negusa Nagast)」も、カエサルの名を引き継いだ称号である。これらの称号が広まった背景には、ローマ帝国の後継者としての正統性を確立するという強い政治的メッセージが込められていた。
また、「シーザーサラダ(Caesar Salad)」の名の由来もローマ皇帝カエサルに関連していると思われがちだが、実際には1920年にイタリア系アメリカ人シェフの Caesar Cardini によって考案されたものである。
※ 免責事項(Disclaimer)
私は言語学者でも歴史学者でもない。ただ、言語と世界史、雑学を愛する者として、面白い話を聞くとそれで終わらず、多くのソースから情報を収集し、一番納得のいく説を蓄積している。そのため、本エッセイの内容はすべてが厳密な事実とは限らない。しかし、読者の皆さんが言語や歴史に興味を持ち、自ら調べるきっかけになれば幸いである。