懐かしいDSの記憶から始まったサイエンスアートについて
皆さん、こんにちは!
デアです…‼︎
写真の旧ニンテンドーDS、懐かしいですよね〜
このDSで遊んでいた世代のほとんどの人はDSをもうどこにしまったのか、
わからなくなっているのではないでしょうか(笑)
今日、私が書きたいことは
皆さんが昔遊んでいた物に対して感じる
あの懐かしい!という気持ちの方ではなく…
「昔、そんなことが本当にあったのかな…?」
と感じるあの感覚です。
(昔の自分をアルバムやビデオで見ていて、
なんだか実感できないな…って感じたこと、
ありませんか?その感覚です!)
~DSから始まったサイエンスアート〜
私はその感覚について
ある出来事があって以来、ずっと考えていました。
それは、自分の所属する大学のサークルで
オークション大会が行われた時のこと…
ある方が懐かしの「ニンテンドーDSlite」を
出品したのを見た瞬間、
自分の心に、ある気持ちが湧き上がったんです。
あんなに遊んでいたDSとの思い出が
まさか、ここまで風化していたとは…
そう…
私は小学生の頃、DSとは切っても切り離せないくらいのゲームっ子でした(笑)
皆さんの知っている
「スーパーマリオブラザーズ」から
「トモダチコレクション」、「僕らは化石ホリダー」、「怪獣バスターズ」などなど…
親にDSを隠されてまでも、自力で探し出して
DSをやるくらいゲームばかりやっていました(汗)
そんな自分がなんで⁉︎
当時の記憶が「そんな時代があったのかな?」
と感じるくらい薄れていたことに
めちゃくちゃショックを受けたのです。
懐かしいという気持ちと共に生じた
昔の記憶が薄れていたことへのショック。
そんな時、
なんだかよくわからないこのショッキングな
気持ちに違和感を抱いた私は、
あることを思いつきました。
そうだ!
この気持ちをサイエンスアートの作品にして、ぶつけてしまおう!
で…そんな思いつきから
試行錯誤の上に作ったのがこの作品です↓↓↓
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https://m.youtube.com/watch?v=K_xqVv3EMxY&t=26s
※上にYouTubeのURLを貼っておきましたので、この記事の最中でも、読み終わってから
視聴していただいてもかまいません…
見ていただけたら大変嬉しいです😭
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はい。まだ話は終わりませんよ(汗)
ここからが本題です。
なんとか、作品を作り終わってその気持ちを
発散することができたと思ったのですが…
作品を作っておきながら、
今度は、
結局、何を伝えたかったのか悶々としてしまい、余計に悩んでしまいました…
この…
あと少しでわかりそうでわからない違和感。
それでも考え続けて、3週間…
ある日のことでした。
ふと、自分は何をこの作品を通して言いたかったのかひらめいたのです。
それは…
"自分の世界観"を大事にしてください
ってことでした。
いきなり、何のことやら?って感じですよね。
順を追って説明します。
まずは幼い頃の自分のDSの見方から話します。
小学生の頃の自分の生きている世界に対する
見方はとんでもなく小さいです。
なぜなら、自分の時間の半分が学校だからです。
これは皆さんもそうですよね?
それをDSという手軽な手段を用いることで
ヤバイ!こんな世界があるのか!
みんなと協力するって楽しい!
というように…
自分の外にある世界観に影響されて、
中の世界観を広げていったんだと思うんです。
(モンスターハンターが良い例(Wiiですけど…)
で、モンスターを狩るためのフィールドに感動したり、友達と協力することで自分の世界観が広がっていくような感覚ですね)
でも、大人に近づいていくと…
学校という縛りが緩み始めて、
主体的に行動できるようになるので、
前よりも人と協力する機会が増えたり、
SNSを使ったり、海外に行くうちに
DS以外にも自分の世界観を広げる方法が
たくさんあることに気づくんです。
つまり、
大人になるにつれて、DS以外の方法で、多様な世界観を知れることがわかる
そうやって…
自分の知らない世界を知る方法を獲得していくうちに、DSが与えてくれた世界観の存在や影響の大きさを忘れていったんだと思います。
それが先ほどの
昔の(DSの)記憶が薄れてしまったことの原因だと思うんです。
でも、事の本質は記憶が薄れていた事実ではなく、その事実に対してショックを受けたことに隠されていたんですよ。
結論から言いますと、
ショックを受けたというのは、
何か大切なことが自分に抜け落ちていたことに
気づいた!ってことだったんですよね。
そう…
DSを通して、突如、小学生の頃の自分を思い出し、
ショックを受けたのと同時に、
何だかよくわからない違和感を感じた。
でも、その気持ちを言葉にできなかったので、
作品にして気持ちを吐き出そうとした。
そして、吐き出した物を見て考えた結果、
ようやくわかったこと。
それが…
先ほど言った"自分の世界観"の大切さに気づけ!という
自分の心からのメッセージだったんですね。
わかりますか…?
(わからなくても、ここからリセットして再び
読んでいただけると嬉しいです。)
それでは、"自分の世界観"って
一体何なのでしょうか?
(わざと"を付けています)
ちょっと、ここで
一般的な小学生〜大人までの世界観の作り方を考えてみましょう。
先ほど、主体的な行動の例を挙げましたよね…?
でも、なんだかDSを使おうと、海外へ行こうと何でも…
形が違うだけで結局は、
世界観を広げるための手段が違うだけで、
やっていることに大した違いはないことに気づくのではないでしょうか…?
そして…世界観って、
自分の性格、好きな物、得意なこと、苦手なことに、何かを感じるための手や足に脳みそ…
これらを使って作られますよね?
つまり、世界観を広げるってことは、
そこに、DSや海外へ行くことで、外の世界が
加わっていくということです。
その中で、他者の違う世界観が加わっていくことがあるわけです。
それでも、
他者の世界観だけで自分が埋め尽くされないのはどうしてでしょうか…?
それは常に、
いつまでも変わらない自分の世界観があり、
それを軸に他者の世界観を取り入れているからだと思うんですね。
すなわち、私の言う"自分の世界観"とは
何歳になっても変わらない世界観
ということです。
実は、私…
中学生の頃から、他人をものすごく羨むようになってしまい、それが今の大学生まで癖となり、"自分の世界観"の大切さに本当の意味で気づけてこれなかったんですね。
いつも、憧れの他人になろうとして頑張る。
でも…
他人のようになろうとすればするほど、
ものすごい心が痛むんです。
なぜなら、"自分の世界観"を無視や否定をして、
他者の世界観を取り込もうとしていたから。
そんな時に昔の自分を思い返したり、
アルバムや映像を見ると、ものすごく和む。
それって…
いつまでも変わらない自分の世界観がそこにあることを心が認識して、
安心しているからだと思うんですね。
心が何度も"自分の世界観"を大切にしろ!
って叱っているのに、
そこに気づかなかった自分がバカでした…
だから、
DSアートの作品を用いて僕が訴えたかったことをもっと具体的に言うと…
子供の頃に世界観を広げるきっかけを与えてくれたDS、本当にありがとう。
そして、子供の頃の世界観は今でも残っていて、生きていく上でずっと大切にしないといけないものなんだってことを…
言いたかったんです。
これを私は自分にも、
そして、この記事を見ている"あなた"にも
一番、伝えたかった。
そんなたった一つの思いから、DSアートは
セリフ、造形、音楽や効果音、名前まで…
全てが勝手に決まったんです。
アートってヤバいですよ。
「自分の心からのメッセージで始まった物が、
他人を別の世界へ連れて行ってしまう。」
アートにはそんな性質があると聞いたことが
あったのですが、
作品を初めて作ってみて、なんだか…
それがわかったような気がします。
ここまで長文を読んでいただいた
"あなた"
に大変感謝しております。
最後まで私の考えを聞いていただき、
本当にありがとうございました。
最後に大切な"あなた"へ一言だけ…
どんなことがあろうと…
自分の元々持っている世界観を見失わないでくださいね。
それが一生、生きる指針となっていることを
どうか忘れないでください。
私も元々持っている自分の世界観を
もう見失わないように"あなた"とも約束します。
ゆびきりげんまん、
嘘ついたらはりせんぼんのーます。
ゆびきった!
それでは、また会いましょう!
デア