以下の続きとして。
分科会の専門家たちのインタビューを読んでいると、この本の内容を思い出さずにはいられない。
原本は1930年発行。なのに、彼ら専門家たちの愚かさの理由は、全てこの本に書かれている。本当に困ったものである。
いや、他人事ではない。影響力は少ないとはいえ、私自身も気をつけねばならない。
この本に関しては、この3年間多くの方々に取り上げられてきたので今更感はあるが、自分の備忘のために多く引用させて頂いた。
以下、2020年に出版された岩波版(佐々木孝訳)より。太字及び()内は引用者。
「1.密集の事実」より。大衆が定義される。凡俗であることに満足しきっているだけでなく、「満足していること」を根拠にマウントを取りに来る人間だ。
「8.大衆はなぜ何にでも、しかも暴力的に首を突っ込むのか」より。彼らの言葉がなぜこんなにも軽いのか、それはあまりにも「慎重さに欠ける」からだ。
「11.満足しきったお坊ちゃん」の時代 より。彼らの自信は、根拠なき万能感と視野の狭さにより成立している。つまり駄々っ子に過ぎない。
「12.「専門主義」の野蛮」より。彼らには、本物の知を構成する断片が与えられている。でも、それは全体のほんの一部にすぎない。しかし彼らはそれで満足しきっている。本物の知を手に入れることなど望まず、ただマウントをとることにしか興味がない。
補:ディレッタンティズムとは「専門家以外の者が道楽や趣味として学問や芸術を楽しむこと。」で、「真の美的体験に備わるべきたいせつな何かを欠いているという意味で、否定的ニュアンスが含まれることが多い。」という。
以上より、
オルテガ恐るべし、としか言いようがない。
しかし、この内容によれば、「陰謀論で満足している人間」も大衆だな。
そういう意味では専門家が陰謀論に陥りやすいのは当然といえば当然、なのかもしれない。