だから、もう眠らせてほしいを読んで
少し前に『ライオンのおやつ』という本を読みました。
読後、すぐ思ったのはこのライオンの家で死にたいなぁと。登場人物が羨ましかったです。
ライオンは百獣の王なので、もう敵に襲われる心配がないので、安心して食べたり寝たりしていい家なので、ライオンの家なのだと。
瀬戸内海にあるレモン島と呼ばれる島にあるホスピスのお話で、もう一度食べたい思い出のおやつを忠実に再現してくれます。温かく優しいマドンナに見守られながら、ゲストの人達が旅立って逝きます。
体の痛みと心の痛み、両方の痛みを和らげるお手伝いをしてくれるのが、緩和ケアなのかと思っています。
この感想文を書いていたら、2人の医師が嘱託殺人で逮捕というニュースが。主治医でない医師が安楽死をしたことに衝撃を受けました。安楽死について、また議論が起こりそうです。
私も昨年4月に幡野さんと同じ、多発性骨髄腫と診断され、抗がん剤4ク-ル後に自家移植をして、今は寛解しています。どんどん新しい薬が標準治療になり、今はがんと一緒に生きて行く時代なのだと実感してます。ただ、完治するわけじゃないので、再発した時にどうするか、どういう治療を選択するか、最後をどのように迎えるのか。。。悔いのないようにしたいと思っています。
9年前に母が同じ多発性骨髄腫で亡くなっていて、最後まで痛みに苦しめられた姿がトラウマになっています。
母は78歳と言う年齢もあり、積極的な治療を望まず、とにかく痛いのを何とかして欲しいと主治医に訴えていましたが、田舎の地域病院という事もあり、血液内科の専門医ではなかったので、抗がん剤の副作用の辛さや痛みに耐えかねて、「早く楽になりたい。家に帰りたい」と言う母の希望で、最後の3か月を自宅で父と看取りました。訪問医療の先生のお陰で、痛みも和らぎ、穏やかな時間を過ごせて「ありがとう」と感謝の気持ちを聞け、ちゃんと母とお別れをすることが出来ました。
ただ、痛みに苦しんでいた姿や最後のセデーションでせん妄する姿を見て、告知された時に思わず「痛みだけはコントロールして下さい」と先生にお願いしてました。
母の痛みを間近で見ていましたが、自分が同じ病気になり、朝、腰や脇腹の痛みでベットから起き上がるのも辛く、ずり落ちるようにしてやっと起きるのを経験して、こんな痛みがずっと続くのかと、改めて母の痛みを知りました。
幡野さんが「耐えがたい苦痛」について言及してましたが、まさに代弁してくれていると思います。幡野さんが言う「誰のための医療なんだろう」に安楽死制度の根源があるのかと思いました。
本書で涙雨の西先生と及川さんのやり取りや、Yさんの奥さんが訪ねて来て泣いたくだりを読んで、西先生に何か違和感を感じていたのは、これだったのかと。患者は医師に気持ちを理解して欲しいと欲しています。及川さんの方がちゃんと傾聴していて、西先生の不甲斐なさに思わず苦笑してしまいました。
精神科医の松本先生とのインタビューが興味深かったです。西先生が「安楽死制度が日本にできた時、ひとりでも人が死なずに済む方法」を捻りだそうとしている姿が、及川さんとのやり取りで感じた違和感と同じように思えたからです。
その背景に思いを馳せないまま、西先生の思いが一人歩きをしているように感じたからです。
松本先生が、人間がコミュニティの中でまったく平等というわけには行かないと現実的な指摘をしていて、新鮮でした。つい、安楽死や自殺のない理想の社会とかに走りがちですが、地に足を付けた考えで「人は最後まで、迷い、人とのつながりを求めている。」と仰ってたのが印象に残りました。
「安心して死にたいと言える社会」に少しでも近づくために、それで社会的処方が必要なのですね。
暮らしの保健室の最強の相棒の及川さん。2人がタッグを組んだから安心して逝ける人がいるのだと。
最初に多発性骨髄腫の告知を受けた夜、母のように痛い思いをしなくて死ねるなら、悪くない人生だったと思いました。主人の両親を看取り、母を看取り、3人の子どもに恵まれ、それぞれに社会人として生活しているので、思い残す事はないなぁと。
父は母を亡くしてから一人暮らしをしてますが、90歳になっても元気に農業をしています。主人は長男で家業を継いだので、家事をすることもなく過ごして来てしまいましたが、何とか生きて行けるだろうし、残された人はそれなりに日常を送るわけなので、あれこれ心配しても仕方ない事だと思います。及川さんの言うとおり、自分の気持ちと折り合いをつけながら生きて行くしかないのだから。
義父は悪性リンパ腫で、義母は肺がん。母は多発性骨髄腫。主人の両親と母の在宅介護を通して、死が身近に感じられたので、死ぬことが怖いとは思っていません。安らかに逝きたいだけです。
それを実現するのは、安楽死? 尊厳死?
緩和ケアに求めるものは、患者さん1人1人違うと思います。真摯に患者さんに寄り添っている西先生と巡り合った患者さんが羨ましいです。幡野さんが言っていたように「格差」があるので。
日本における安楽死制度は、宮下さんが言うように欧米と文化的概念が違うので、土壌が出来てないのを感じます。
日本人に合った死に方は。。。まず、自分の死生観を持つことが大切だと思います。私もそうですが、信仰を持っている日本人は少ないと思います。神を信じる人は安楽死を選ばないのじゃないのかと。でも、苦痛からは解放されたい。
自分の死生観に近い死に方をどうすれば実現できるのか?
本書を読んだ方が、自分の死生観を持つきっかけになってくれることを願います。