【日本学術会議 任命拒否問題】 アカデミーが正常に機能するには、政治にも責任がある

 日本学術会議が推薦した新規会員6人の任命を菅義偉総理が拒否した問題で、自民党内ではすでに日本学術会議のあり方の議論が始まっている。しかし、その議論がこのまま進むなら、日本の将来にとって決して先行きの明るいものとはならないだろう。

 日本学術会議は、かつては左派に偏向した学者が優遇される形で会員が多く決められていたこともあり、国は一貫して学術会議の権限を減らす方向で動いてきた。国と学術会議との冷えた関係のなかで、国民からしてみるとアカデミーの最も大事な役割である「諮問」の機能が不十分であったことは大きな問題である。この点は、党派性によらず賛同できる点ではないかと思う。

 だから今回の件で、学術会議自体の持つ課題や、政府との位置づけについて議論が喚起されたのは歓迎すべきことだ。しかし、今後の学術会議のあり方を話し合うなら、まずはアカデミーというものが、国民にとって必要不可欠な存在であることを、政府も国民も理解するところから再スタートしなければならない。
 
 そういう思いがあって、このnoteを立ち上げることに賛同した。「理想的なアカデミーとは何か」「科学と政治のいい関係を構築するにはどうしたらいいか」「そもそも学問とはなにか」を考えるには、前提となる知識が必要であり、一般の方々にも役立てていただけると考えたからだ。

 ところが、現実にはいまも想像以上のことが起きている。本日(10月16日)の報道によれば、菅総理と梶田隆章会長が会談の機会をもったが、菅総理はそこでも「任命拒否」の理由を明らかにしなかった。なぜ、これが問題か。この状態が続くと、アカデミーと政治との関係の健全性に、将来に渡って暗い影を落とすことになるからだ。

 たとえば今後の改革論議なかで、日本学術会議を米国の全米科学アカデミーズのように政府から独立した助言機関にするという選択肢も俎上にあがることになるだろう。アカデミー は政府とコントラクト(契約)を結び、自らの行動に責任を持ち、科学的な根拠に基づいた質の高い政策助言の報告書を作成する。

 しかし、これを実現するには大きな前提条件が満たされなくてはならない。科学的助言をするアカデミーや、アカデミーを構成する科学者に、スポンサーである政治は介入をしてはならないということである。そうでなければ、いわゆる「忖度」が働いて、アカデミーは政府にとって都合のよい助言しかできなくなる。科学的助言そのものの質が保てず、アカデミーは簡単に毀損してしまう。

 この「政治と科学」の関係における暗黙の了解は、ヨーロッパ文明が何世紀もかけて培ってきた知恵であり、先進国ではコンセンサスとなっている。1983年の中曽根元総理の答弁もこの通念を踏まえたものだっただろう。国際的な科学雑誌として知られるネイチャーも10月6日の社説で、菅総理の任命拒否の件を取り上げ、「研究者と政治家の間には、それぞれが約束を守るというある程度の信頼が必要だ。この信頼が衰え始めると、システムが脆弱になってくる」と憂慮を示した。

 つまり、アカデミーが正常であるためには、政治の側にも大きな責任がある。
 菅総理は「任命拒否」の理由を明らかにしないのは当然と思っているようだが、政府が介入する姿勢をこのまま正さない場合、どうなるか。仮に学術会議の側が理想的なアカデミーに生まれ変わったとしても、早晩、その機能を果たせなくなることは明らかだ。

 さて、日本の政治は責任が果たせるのか。
 まずは、菅総理が任命拒否の説明をするのかどうか、信頼関係を構築できるのかどうかということに注目したい。

2020年10月16日 副会長 瀧澤美奈子

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