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愛の伝え方

このところ、ウイルス騒ぎで塞ぎ込みがちだったけど、とりあえず、NYはこの時期アートフェアが重なっていたりするので、少しは気分を変えないととチェルシー方面に出かけてみた所、素敵なカフェベイカリーを発見した。

外から見て、お洒落でいい感じのお店だなあと、思わず写真を撮っていたら、中で働いているお兄さんがガラス越しに笑顔で手を振ってくれた。そのまま通り過ぎても良かったのだけど、外は雨で、休憩するには悪いタイミングではなかった。そして、数多く並んだ種類の豊富なシナモンロールのデニッシュは魅力的だったので、少し入って休む事にした。

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そのお兄さんは、私がそのまま写真だけを撮って通り過ぎると思っていたせいか、意外にもカフェに入って来たので、なんとなく嬉しそうな表情になった。そして、その仕草や所作からどうみてもゲイだとわかる彼は、何も言わない私に気を使ってナプキンやデニッシュを置くお皿を自主的に持ってきてくれたり、雨の中、そのカフェを選んで入った私にとてもナイスな気遣いを見せてくれた。

この街では、知らない人に無心でとても親切にする人たちがいる。そうする事が、きっと彼らにとっての幸せで、私たちだけでなく、彼らの1日もハッピーにする。特にゲイの人たちは、差別を受けたり色々と大変な人生経験もあるせいか、困っている他者には本気で優しい人も決して少なくない。

私はこの街でのそういう優しい人たちとの一期一会の出会いが大好きだ。

そして、そのゲイのお兄さんの対応を見ながら、私は以前モントリオールで会ったとてもナイスなカナダ人のお兄さんのことを思い出していた。

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その日、モントリオールに住むフランス人の友人と現地で会う約束だった私は、少し大き目の駅からの乗り入れで、待ち合わせの駅に向かう電車が果たしてどっちのプラットフォームなのかが定かではなく、階段のところにいた細身で長身のお兄さんに聞いてみたら、こっちだよ、と彼は優しい笑顔で教えてくれて、私が明らかに他の場所から来た人間に見えたのか、下のホームまでわざわざ一緒に降りて来てくれた。

その後に彼は、自分は反対方向に行くからと、じゃあ、気をつけてね、と言って階段を上がって行って別れた。そして、プラットフォームで地下鉄を待っていると、反対のプラットフォームには、さっき道を教えてくれたお兄さんが、満面の笑顔でこっちをみて頷きながら、大きく手を振っていた。そしてその後、すぐに電車が来て、私もこちらから手を振り返したのだけど、そのお兄さんは、私の電車が遠く見えなくなるまで、ずっと笑顔で大きく手を振り続けていてくれた。

私はどこの誰かもわからない相手とのこう言う心温まる瞬間の出会いが本当に好きだ。だから、相手が誰か知らなくても、こう言う出会いは何年も心の中に大切な思い出として持ち続けていることができる。

西欧諸国では、キリスト教の影響もあるせいか、こんな風に見知らぬ隣人に本気で優しくできる人に遭遇することがたまにあって、そんな時は、もう全ては言葉を越えて愛でしかないっていう感覚になったりする。何かのため、とか誰かのため、とかで親切にするとかじゃなく、もう存在そのものが愛みたいな人って世の中にはやっぱりいるってことなんだと思う。そういう時に、本当に人間は捨てたもんじゃないって思えたりすることは、やっぱり何よりも幸せな瞬間だと思う。

だから、私はいつどこにいても、そういう心のアルバムに残る見知らぬ人との出会いは決して忘れたくはない。



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