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アラフォー真夏の大冒険

ちょうど一年前、私は10年以上勤めた会社を辞めた。そして、海外ひとり旅に出た。たった2週間、されど2週間。「アラフォー真夏の大冒険」と銘打ち、リュックにカメラと勇気を詰めて、訪れたのは数年ぶりのベトナムだ。
これはそのとき書いた私の旅日記である。



夕暮れの成田空港にて

人生のターニングポイントとなるような出来事は誰しもに当たり前に訪れると思っていたけど、私には、それはそれは夢のまた夢。結婚、出産、昇進、そのどれもが縁遠く、現実は、毎日を泥臭く地道に過ごし、笑いたくないときにでもスイッチ一つで営業スマイルは簡単に出せた。人の夢ばかり叶えるお手伝いをし、自分の夢がなんなのかさえわからなくなりそうだった。

そんな毎日で、浮かんでは消し、浮かんでは沈めていた「40歳までに海外ひとり旅をしてみたい」という思い。40歳が近づくにつれ、どこか焦りだしていた。

そして、かなりの滑り込みセーフで、その思いを叶えてあげることにした。会社の上司には苦笑いされたけど、先輩や同僚たちは応援してくれた。「今しか出来ないことをしようって決断、私は応援する!」と、たまにしか話さない他部署の先輩まで励ましてくれた。もしかしたら、私は皆から夢を託されたのかもしれない。やりたくてもできないことを、お前が叶えてくれよ、と。

初夏の夕方、成田空港。ハノイ行きの飛行機に乗った。座席に着き、この景色を見ていたら、「あぁ、私は本当にベトナムへ行くのだなぁ」という言葉が浮かび、その途端にブワッと涙が溢れてきた。ビックリするほどに途端に、しかもボロボロとこぼれ落ちた。

少年が抱くような夢を現実にしたのだから、自分のことなのにほんの少し信じがたい。でも間違いなく私が、このビビりな私がベトナムに行く。2週間、一人で旅をする。そりゃあ感慨深くもなるか。

とまぁ1ヶ月くらい前に決断したものの、あと一歩勇気が出なくて、予備校時代の世界史の先生に行程を考えてもらったり、友人に片道チケットをとってもらったりと、だいぶ色んな人に背中を押してもらう形にはなったのだが、周りに頼ったり、助けてもらえるようになったことも、私としては成長なのだ。(頼り方がわからず、テレビボードも自分で組み立てるレベル)

そんなココロもカラダも成長した私は、涙で視界が歪みながらも、飛行機の羽の先を見つめて、思う存分、空の旅を味わった。

ハノイに着いたのは夜中の10時過ぎだった。空港に灯るオレンジ色の光が、とても穏やかに見えた。


ハノイのハイランズコーヒーにて

数ヶ月前、自分が生まれたときから持っていたり決まっていたりする設計図がある、と聞いて、すがる思いで見せてもらった。

海外思考がある

とのことだった。ずっとモヤモヤしてた心が晴れて「あぁ、私がこんな風に思ったりあんな風に感じるのはもう決まってたからなのか」と腑に落ちた。だって生まれたときから決まってるんだから。そしてそう思いたい自分がいた。

それから一年も経たずに、私は今、ベトナムはハノイにいる。

会社を辞めて10日間は、なぜ辞めたのかわからなくなってきていたし、穏やかな時間だったけれども少なからず「本当に良かったのだろうか」と考え始め、背中を押してもらって行くと決めたベトナム行きなのに、とても緊張してすごく不安になってきていた。

それが嘘かのように、とても穏やかな気持ちで、夢でなく現実に今、私はベトナムにいる。

やればできる
なんとかなる
どうにかする

ありきたりな言葉の意味を、自分のその時の思考や行動から改めて知った。


夕暮れのホアンキエム湖にて

数日前の夕方は「あぁ、私はベトナムに行けるのか」とジーンとして涙して、今日の夕方は「あぁ、私はベトナムに来てるんだなぁ」と噛みしめて。(どこかの経営者が「夕日は儲かる」って言ってたな)

どちらの日も歓迎されていると勝手に解釈をしたくなるような美しい夕空だった。

こちらを気にせずお喋りを楽しむ人たちとか、スマホをいじりながらバイク乗っちゃうところとか、道端が食堂になってるところとか、排気ガスのにおいも鼻につくツンとしたにおいもクラクションの音も全部全部ベトナム!街を歩いているだけで全てが愛おしい!

できればこの旅で、ベトナムの何に魅了されているかの明確な答えも、言葉で見つけられたらいい。


日本から持ってきた本

何年か前の夏に、それまで三連休中の休日出勤を私にばかり押し付けていた先輩に腹が立って、上司に「たまには私にだって三連休くださいよ!毎回毎回○○先輩が三連休してるの知ってます?気づいてないんですか?」とシフトの不公平さを訴え、ようやくもらった三連休でプンプンしながら千葉の館山に行った。
私の趣味の一つはカフェ巡りなのだが、事前に調べて気になっていたカフェに入るも満席。諦めようと店を出ようとすると、入り口近くの本棚に古本が売っていたので見せてもらった。はい、見つけましたベトナムの文字。ベトナムにハマってからというもの、ベトナムの文字を瞬時に見つけられるのが特技となった。テイクアウトできるという手作りパンと一緒に、その本を買わせてもらった。

その本は、ベトナムのハノイで日本語教師として働く女性が書いた本である。新潟に住む母親の認知症がひどくなったことを機に、その母親をハノイに迎え一緒に暮らすことになるのだが、介護をしながらの日常がとてもユーモラスに書かれていて、ページをめくるのが楽しい本だった。

本を買った当時は行ったことがなかったハノイの街。通りやホテルの名前が出てきては、Google Mapで検索しながら、そこに一緒にいるかのような気分を味わいながら読んだ。でも、やっぱり行ったことがないから何となく想像に欠ける。いつかこの本と一緒にハノイに行きたいなぁとずっと思っていた。

そして、その本と一緒に、本当にハノイに来ることができた。街の空気を吸って、当時の自分が思い浮かべていた情景と目の前に広がる景色の答え合わせができた。

本の中で描かれていた、認知症のおばあちゃんがスタスタと歩いたという湖を眺める。バイクタクシーも本の通りたくさんいる。好きな本の舞台に自分がいると思うととても嬉しかった。

旅のお供に、また改めてこの本を読もう。一人の旅は、こういう時間が贅沢にもとれるのだから。


早朝のホアンキエム湖

ベトナムの朝は早い。その朝は、観光地としての街ではなく、人々が暮らす生活の場所としての街が見られる気がする。

日の出の時間少し前にスマホのアラームに起こしてもらい、どうにかベッドから飛び起きて、ホテルから歩いてホアンキエム湖へ向かった。大きな通りを颯爽と自転車で走る人、人、人。皆ビュンビュン走ってる。湖の周りを歩く人、ジョギングする人と犬、日の出を見ながら涼むおっちゃん。向こう側にはお揃いのウェアを着て体操する人もいた。印象的だったのは、大音量の歌謡曲に合わせてダンスを習うマダムたち。ほとんどの人が柄物のワンピースやセットアップだった。朝からお洒落を楽しんでるんだろうなぁと微笑ましたかった。

帰り道は少し遠回りをしたら、自転車に山積みの果物や花を道端で売り買いする風景も見れた。

食事は外食が多いというベトナムでは、店の準備も食事も路上が当たり前。朝食を準備するお店の夫婦や、すでに朝食を済ませるおじちゃんたちがいた。

どのシーンにも、どこ景色にも私も混じってみたくて、でもきっとそうしたら、それは彼らの日常じゃなくなってしまう気がして、遠くから見てるだけにした。いつかあちら側に行く日が来るといいな。


ホテルのルーフトップバーにて

ハノイのホテルの条件はベランダとルーフトップバーがあること。間違いない選択だった。蒸し暑く、クラクションの鳴り止まないハノイの夜を見下ろしながら、私は今、モヒートを飲んでいる。

半年前、一年前に、こんな光景を想像しただろうか。 行きたくても行けない理由を見つけては、ベトナムが舞台の本を読んで自分を満足させていた。

でも今は違う。私はハノイにいる。自分を自分で満足させている。本の力は借りてない。 信頼できる人たちの力は借りたけどね。

少し離れた席では、ロングバケーション中であろう初老の白人夫婦が肩を組み、夜の光を眺めている。西洋人の、年老いても愛を語らうことができるその姿は、日本人に生まれた私にとってはとても羨ましく思う。日本だと、こんな光景はなかなかない。今ここにある幸せを噛み締めることができず、人の目ばかり気にして、遠くの憧ればかり追いかけている。もれなく私もその日本人なのだが、日本から一歩出ると、こうした光景を何の違和感もなく目にすることができ、心が洗われる。愛する人と肩を組み、夜を眺める。素晴らしいことじゃないか。

そんなことを思いながらモヒートで心地よくなっていると、「君が飲んでいるのはジントニックかい?」と初老男性に声を掛けられた。「モヒートです」と答えると、「いいね。良い選択だ」と微笑んでくれた。

いいね、と言ってもらえただけで、救われた気がした。 君の選択は間違ってないよ、と誰かに言ってほしかったんだと思った。

今夜がハノイ最終日。明日は飛行機とタクシーでホイアンへ向かう。


世界遺産の街ホイアンにて

ハノイから国内線に乗り、ダナンというベトナム中部の都市に向かった。ベトナムにハマったのはダナンへの旅がきっかけ。しかし今回はそのダナンには寄らず(2日後には来るのだが)、空港から車で1時間弱のホイアンという街全体が世界遺産となっている街へと向かった。日本との縁も感じられるスポットもいくつかある。

黄色い壁が特徴の街、ホイアン。午後2時頃にホテルへ到着し、1日半しかいれない、という焦りもあったから、急いで街を散策しに出掛けると、とんでもない暑さで顔面が真っ赤になった。頭からは湯気が出てると思うほどに熱を持っている。あと少し、もう少し、と欲張ったもののついに限界が。ホテルへと退散した。

帰ってきてから飲もうとキンキンに冷やしておいた缶ビールで脇の下や首の後ろ、頬っぺたを冷やし、落ち着いたところで温度低めのシャワーを浴びた。少しずつ暑さは冷めてきたけど頭が痛い。気持ち悪さも少しある。完全に熱中症である。

ホイアンは灯籠流しやランタンと呼ばれる提灯のようなものが街を彩り光を放つ夜が見処。でもこのままじゃ無理だなぁと、ホテルの2軒隣にあったMINI Martへお水を買いに出るだけにして、その日はおとなしく休むことにした。



友人の絵とコラボレーション


翌朝、まだ体がだるい。冷房つけっぱなしのせいもある。この日は朝の市場に一眼レフカメラを持っていこうと計画していたのだが、取り止めにして思い切って昼近くまで寝てみることにした。でも外の景色が気になる。カーテンは閉めて眠っていたので外の様子がわからない。重たい体を起こし、カーテンを開けると、目の前に広がっていたのはこの景色だった。青空と黄色に塗られた壁たちがいいコントラスト。私は世界遺産の街で目を覚ましたのだ。一枚だけ写真を撮り、Instagramのストーリーズに載せるだけ載せて、もう少しだけ眠った。

しっかり睡眠を取り、パワーチャージ出来たところで、昼食をとろうと街に出た。今日も今日とてものすごい暑さだ。Google Mapに案内を頼み、目当てのお店にやっとの思いで辿り着くと、クーラーが効いているどころかお店に扉がなく、扇風機のみで涼む他ないお店だった。でも間違いなく人気店だというのだから、おとなしく注文した名物の料理を座って待っていると、スマホに友人からメッセージが届いた。私の撮った写真をInstagramで見て、さっそく絵にしてみたと言う。彼は手に障害があり、そのリハビリを兼ねて絵を描き始めたのだが、なんとも味のある可愛らしい絵だった。私の写真とその彼の絵のコラボレーションみたいでとてもうれしかったのでこちらでご紹介。(ちなみにその彼とは誕生日も一緒なのだ)。


その後、提供された名物のホイアンチキンライスは、言うまでもなく絶品で、暑さなんてどうでもよくなるほど、一気にペロリと間食した。

ご飯を食べたら力がみなぎってきたわけだが、やはりどうにも暑すぎて、アイスコーヒーを飲もうがスコールが降ろうが暑い。力があるうちにと早めに街から退散して、ホテルのプールに入ることにした。プールサイドでゴロゴロしながらビールを飲む。本を読んでいると、さっきまでプールでプカプカ浮いていた宿泊客はいつの間にかいなくなっていた。私も彼女の真似をして水面にプカプカ浮んでみる。何も考えなくていい。今この瞬間の心地よさを最優先事項とする。それがひとり旅の醍醐味だ。

ちなみに、夜のホイアンは想像以上に賑やかで、光輝いてきた。



ベトナム統一鉄道に乗って

せっかくの旅なのだから、旅らしいことをしたい。では、その旅らしいこととは?鉄道旅である。今回の旅のメインイベントと言っても良い。ベトナムを南北1700キロ走るうちの1/3を電車で移動することにした。約12時間の旅である。

ダナンからクイニョン(ディエウトリ駅)までは日中にのみ走る超豪華車両を選んだ。安心を買うためだ。そしてクイニョンで一般車両に乗り換え、ニャチャンという海の街まで行く。ネットで調べる限り、日本の特急列車と同じようにはいかなそうだ。どうか、どうか無事でありますように。

駅に着くと、白いジャケットに身を包んだスタッフが迎えに来てくれた。まるで執事のようだった。待合室ではハイビスカスティー(たぶん)とナッツやドライフルーツのおつまみ付き。この後、シャンパンまで開いた。なぜかって?すでに電車の出発が1時間以上遅れていたからだ!(これぞベトナム時間。)朝からお酒なんて…飲むに決まってる。

遅れながらも無事列車が出発。片道五万(!!!)もする、一流ホテルが一車両貸し切って提供する空間は、座席も窓側にしかなく、6組くらいしか座れないようになっていて、すべてカーテンで仕切られた個室になっていた。スタッフもホテルマンかのような佇まいで、部屋ごとに担当者が決められていた。「何かあったらいつでも僕に言ってね」と伝えに来てくれた青年は、私の英語力のなさをすぐに察知して、簡単な英単語を並べて話してくれた。

車窓からの眺めを思う存分写真に撮り、白ワインを飲みながらベトナムの景色を味わっていたら少しうとうとしていた。ここまでの数日間は緊張からかなかなか熟睡できず寝不足だったし、ここにきてようやく安心できる空間に身を置くことができたからかもしれない。

気がつくと、隣の席のカーテンが開いており、ずっとパソコンで仕事をしている女性が座っていた。おそらくベトナム人。ベトナムのキャリアウーマン、と言ったら怒られるだろうか。

バーカウンターでも仕事をしていたその女性は、私が乗り換える予定の駅に着く少し前に話しかけてきてくれた。「とても素敵な景色が見えるから写真を撮ってあげるわ。あなた一人でしょう?こっちに来なさい」と、手を引いてくれた。驚く私にスタッフも笑顔で勧める。「バックも置きっぱなしでいいの?」と言うと天井を指差した。「防犯カメラありますから」と言うことのようだ。そんなこと心配するな、ここは一流なのだから、と言ったのかもしれない。

案内された席からは実にきれいな田園風景を見ることができた。私の住む街の基幹産業も農業で、それこそ田園風景は見慣れたものなのだが、日本のそれとはまた少し違う、どこか懐かしさを感じるような、なんだろうこの感覚。

恥ずかしいのでここには載せないが、その女性は美しい田園風景をバックに笑顔の私を何枚も撮影してくれた。「私は一人で旅をしているので、写真を撮ってもらえて嬉しいです」とPOCKETALKに翻訳をお願いし、その女性に見せると、笑顔を見せてくれた。

そのあとも、乗り継ぎ電車のチケットを確認してくれ、「あなたの乗る列車はあの時間よ。ここで待っていなさい」と、電光掲示板を指差し、待合室のベンチまで案内してくれた。豪華車両のスタッフも待合室までスーツケースを運んでくれ、ホームに戻る際にもこちらに手を振ってくれた。

皆に感謝を伝えたい。でも出てくる言葉は Thank you so muchだけ。素敵な人たちとの記念写真すら叶わなかったけど、お礼の代わりに見えなくなるまで背中を見送った。

駅舎のベンチで列車を待つ。この出来事を書き留めたい。忘れないうちに書いておきたい。必死にスマホを叩いていると、ボロボロと涙がこぼれてきた。隣に座ってるベトナムの少女がこちらを見ている。日本人のお姉ちゃんが泣いてるよ、とお父さんに話してるかもしれない。

ここまでの旅はずっと、どちらかというとハッピーな感覚で、心の底から穏やかに楽しく過ごせてきた。それがここに来てこれ。感情が振り切ったのかもしれない。嬉しすぎると泣いてしまうものなのかもな人間って。

全く寂しさも孤独も感じない。等身大の自分で、ここは大丈夫。


ニャチャンという海の街にて

今までの疲れが出てきたのか、事前に予約しておいた高原の街ダラットへの個人ツアーの道中は、気がつけば眠っているという状態だった。スマホのネックストラップをどこかに落としたことすら気づかないくらいだった。

結局、ツアーから戻ってきてもすぐに眠ってしまい、気がつくと朝だった。まだ薄暗い時間に目が覚めて、寝ぼけ眼に今朝のプランを確認する。まだまだ眠りたい。でも窓の外の奥の方を見ると海が少しだけ見えた。


海へ行こう。


ニャチャンは海の街。といっても、我が町のように田舎ではなく、どちらかというとハワイのような、海岸沿いには軒並みホテルが立っていて、交通量も半端じゃない。

急いで支度をして、ビーチサンダルを履いて海に急ぐ。日が昇ってきている。すでに大音量の音楽。何か催し物がやっているらしい。

ステージ、たくさんの人、道沿いには規則正しく並ぶタクシー。


海だーーーー。


向こうの山が霞んで見える。穏やかな波。楽しそうな声。しばらく見とれて、足だけ浸かってきた。冷たくて気持ちが良い。

一人のおじさんが「オーイ」と誰かを呼んでいるようだった。ベトナムで誰かを呼ぶときは「オーイ」。近くを歩いていたおじさんが近寄る。どうやら、海の中でちゃぷちゃぷ涼んでいたこのおじさんは、右半身が不自由で動きづらいらしい。そこで砂浜に上がりたいから助けてくれないか、ということだったようだ。呼ばれたおじさんは海に入り、海の中で涼んでいたおじさんの手を取り砂浜まで案内する。本当に優しい。

こうだから、ああだからとやらない理由を探すんじゃなく、まずはやってみる。始めてしまえばどうにかするし、どうにかなる。どうにもならないときは誰かを「おーい」と呼べば良い。きっと、きっと助けてくれる。

こうしたら何だ、ああしたらダメ、そんなの恥ずかしい。

こんな言葉だらけで生きてきた私は、2週間のベトナム旅で、それらをはがしてベトナムの地に置いてくることができるだろうか。2週間じゃあ足りないかもしれないけどさ。



ベトナムで長距離バスに乗る

旅の最大の目的②は長距離バスに乗ることだった。ニャチャンからホーチミンまで向かう長距離バスがあるとわかり、日本で予約しておいた。

超豪華鉄道旅とはうってかわり、とてもリーズナブル。それでいて驚くほどにキレイで広い。まるで宇宙船を思わせる車内は、運転手さんの趣味であろうベトナム人歌手が歌うクラブミュージックが大音量で流れていて、思わず笑ってしまった。日本にいれば耳栓でもしたくなるところだが、ベトナムにいるなぜかこういうことに出くわしても雑音にならない。どれもこれもが面白くて興味深くて、なにが来ても嬉しい。体と心が喜んでいるのがわかる。

途中、一度だけパーキングエリアに寄ったのだが、バスの中は土足厳禁なので、外に出るときにはサンダルを貸してくれたのには驚いた。

車窓を眺め、写真を撮り、うとうとして、買っておいたパンやお菓子を食べ、を繰り返し、ホーチミンの街に着いたのは夜だった。片側3車線の大きな幹線道路もある。そこをバイクの大群が走る。残すところあと数日。できるだけたくさんの景色を撮りたい。



旅の終着地サイゴン(ホーチミン)にて


現地の人は、皆サイゴンと言うらしい。ホーチミンと言ってもきょとんとされた。長年使われている愛着のある街の名前なのだろう。

ホーチミンに着いた翌日から体調を崩し、せっかく予約しておいたご褒美的ラグジュアリーホテルを別の意味で満喫していた。おそらく、ここに来て、旅の疲れやストレスが体に出たのだと思う。

洗練され過ぎず、趣があって、デザインや材質にこだわりを感じるホテルはとても居心地がよく、今の私にはとてもありがたい温かさだ。

ベランダではあるがお湯の出るジャグジーがある。体を温めて、無理をせず休もう。自分の体に向き合い、自分のペースを探る。決して無茶はしない。私は思っている以上に、繊細で弱い。そう認められて始めて、自分の人生を生きることが出来るのではないだろうか。


旅のしめくくりに

ベトナム最後の1日をどう過ごそうか。体調を崩したおかげで全く決めていなくて、とにかく趣あるこのホテルにギリギリまで滞在にして、居心地のよさを味わった。

チェックアウトの時間。体調も回復した。
いざ!リュックを背負って飛び出した。

戦争の記録は、できればすべての国で見ておきたいと思っている。ホーチミンにも戦争証跡博物館があると知り、訪れた。ここに来れば、誰しもが戦争しようと思わないだろうし、今すぐに大国のトップたちに見てほしいと強く思いながら、足早に去る。気持ちが追い付かず長居はできなかった。

前日までに利用しなければならないところを、体調不良で利用できなかったのでダメ元でホテルのスタッフに聞いてみたら「今日でもいいよ」と予約を取り直してくれたハイティー(アフタヌーンティー)。バイオリンの旋律はなぜああもジーンと染みるんだろう。揚げ春巻きも食べられたし、先ほどの気持ちの落ち込みも少し晴れ、また元気が出てきた。

サイゴン中央郵便局に行ってみた。たくさんの観光客が葉書を買い、ベンチに座って手紙をしたためている。思いきって私も挑戦することにした。実家の父宛、嫁いだ姉宛、そして自分宛。気の弱い私だから、少し緊張して字がうまく書けない。それでも心がワクワクして、とても楽しい時間だった。何日かけて、手元に来てくれるだろうか。

そこからダブルデッカーバスで市内見学。ブックストリートにも立ち寄り、昨日閉まっていて入れなかった食堂にも行けた。最後の晩餐は優しい甘口のスープでホクホクだ。あとは涼しくても汗をかく体にビールを流し込んで迎えを待つとしよう。

始めはホームシックになると思っていた。たった一人、大好きなベトナムとはいえ異国の地。具合が悪くなったら…騙されたら…スリにあったら…事故に遭ったら…と不安や心配しか出てこない出発直前だったけど、実際来てみたら、ベトナムの人の優しさと親切さにたくさん助けてもらったし、気がかりなことなど何もないくらいに今を楽しんでいた。もったいないくらい、異国の地でたくさん寝た。それも私らしい。

結局、これからのやりたいことなんて何も浮かばず、ただ今を、この時をこぼさないように味わい切った。


でも、まだ味わいたい。
だから、ねぇ神様がいるなら、仏様はいるよね、じいちゃんばあちゃん、できれば私をまた、異国の地でたくさんの景色を見れるように導いてくれないか。いや、違うか。自分でどうにかするから見守っててよね。

また必ず、必ず来るよベトナム。
あぁ、ほろ酔いだ。






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