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カンボジア雑記

搭乗口
関空からホーチミンを経由してプノンペンに向かう。ホーチミンまでは日本人がまだまだ多い。
ホーチミンの乗り換えエリアを経て、プノンペン行きの搭乗口に行く。明らかに搭乗口の雰囲気が普段と違う。そこにいるほぼ全てがクメール人で、若干の欧米人バックパッカーが混じっている。韓国、中国、欧米などの慣れた異国情緒とはちがうこの搭乗口の雰囲気は、マーシャル諸島に行く時も味わった。この瞬間がいちばんワクワクする。今からぼくは変なとこにいくんだ、と思う。

ホーチミン→プノンペン→ヴィエンチャンを結ぶ便だった


パチモン
プノンペンのナイトマーケットは楽しい。今は雨季で観光客が少ないから、現地の人との比率は半々くらいだった。お土産のTシャツが2ドルだとかそういうのに目がいくけれど、やっぱりぼくはこういうマーケットのメインはパチモンだと思う。
パチモンの中にも粗悪品と優良品がある。好きなブランドであればあるほど、どのパチモンが優良品なのか分かってしまう。ブランドが好きゆえに完成度の高いパチモンを安い値段で買えてしまうのが、なんか皮肉なもんやなと思う。
パチモンを買うには倫理観を少し捨てなければいけない。捨てきれない者は言い訳を作る。ぼくの好きなadidasのsambaのパチモンが売っていた。ぼくはこのあとシェムリアップに行き、トンレサップ湖でフィールド調査をする。今履いてるエアフォースで行くと必ず汚れるだろう。“汚れてもいい靴を買う”という名目なら買えるなと思った。
…いちばん完成度の高いsambaを買った。おばちゃんと交渉して4ドル値引きしてもらい、11ドル。たぶんもっと値切れたけど、ほんの少しadidasへの罪悪感がそうさせてしまった。
次の日、奇跡的に本物という可能性はないかな、と思いながら履いてみた。死ぬほど歩き心地が悪かった。

シェムリアップ空港にて sambaとぼく


カンボジア大学
ぼくは10日間カンボジアに滞在していたのだが、そのうち2日間はカンボジア大学(The University of Cambodia)で授業を受けたり、向こうの大学生の方々と交流したりしていた。留学かと言われるとそうではないけれど、奨学金は貰って渡航している。ざっくり言うと、日本のとある団体がカンボジアに行きたい人向けの給付型奨学金を出しており、ぼくはその選考に受かったのである。ただし渡航する条件として、その団体に関係がある施設を最低1つ訪れなければならない。そのため、その団体がお金を出して作ったカンボジア大学を訪問したという訳である。
カンボジア大学というのは、私大である。そしてぼくが奨学金を貰っていた団体が宗教と関係があるというのもあり、正直、本当に正直な話、舐めていた。近くには王立プノンペン大学があるし、日本でそういうのが絡んでる創〇大学とか〇理大学とかって賢くないもん。この章は、そんなぼくが自分の愚かさを恥じる章です。
カンボジア大学でぼくの世話をよくしてくれたのが、1つ年上の大学院生の子だった。彼女は英語がとても上手で、ぼくのカスみたいな英語を聞き取ってくれて、たくさんの話をした。ちょっと適当に聞いてくれてる感じが、逆に話しやすくて助かるなあと思った。彼女はK-POPがすごい好きで、ぼくはTwiceしかちゃんと話せないから基本Twiceの話だった。ジョンヨンを推している話とか、懐かしい曲の話とかをした。Knock Knockとかまじ懐かしいよな、と言って2人で笑った。ぼくは心から懐かしいなと思った。あとはバイトの話もした。彼女はこの大学スタッフみたいなやつがバイトらしく、月に200ドルくらい稼いでると言っていた。ぼくもそんくらいやな、と返すと「私は週5で8時間働いてるんよ!!!」と言われてしまった。時給換算だと200円。日本の5分の1。1人あたりGDPってこういうことだよなあ、と妙に納得したような気分になってしまった。
あとはいくつかの授業にまじったりした。今は休みの期間らしく、ぼくが希望していた社会科学の授業はなかったので、1年生向けのIELTSの対策授業を見学した。ぼくのレベルにちょうどいいくらいの授業だったのですごく真面目に聞いてしまった。そして大学入ってからこういうガチガチの英語の授業受けてないな、とふと思った。やっぱり日本の大学生ってのは勉強してないんだな。共創が交換留学を推奨してんのはそういうことなのかもしれない。開発と貧困についての授業も受けた。生徒のプレゼンで日本の人口ピラミッドが出てきて笑ってしまった。みんな英語のプレゼンが上手で、ほんとに共創のすごい子たちと授業を受けてるみたいだった。Canva使ってたし。日本の人口ピラミッドを悪い例で使っていたからなのか、授業後に生徒の子が「カンボジアも日本みたいになって欲しいと思います!」と言ってきてくれた。まじでならんでいい、と思った。ならんでくれと思った。カンボジアは熱気がある。こっからやぞという迫力みたいなものもある。ぼくはそんな国が好きなのだ。

カンボジア大学の食堂で食べた飯。バチうまだった


がきんちょ
5日間のプノンペン滞在を終えたあと、シェムリアップに向かった。帰りにベトナムを縦断するという計画を立ててしまったせいでお金が無いので、長距離バスで向かうことにした。6時間8ドル。この国は時々、意味わからんくらい安い。乗車率はだいたい50パーセントくらいだった。
出発前、後ろの方に座っていた3歳くらいの女の子がぼくに懐いてきたので、ぬいぐるみを投げたり手遊びをしたりして遊んだ。バスが走り出してその子は親の元に帰るかと思いきや、全くそんな気配はない。たぶん親は寝てしまっていた。というか早朝出発の長距離バスなので、みんなすぐ寝てしまい、ぼくしか遊んでくれる人がいなかったようなのだ。もちろんぼくも寝るつもりでいたのだが、こんなかわいい子が遊んでくれるなら寝るなんて選択肢はない。結局ぼくの隣に人が乗ってくるまで2時間くらい遊んでしまった。
そこからまた2時間くらいして、ぼくの隣の人が降り、あの子はやってきた。ぼくは寝ていたのだが、腕を引っ張られた感覚があったので起きてみるとその子だったという訳だ。あざといやつだ。そしてまた遊んでいたのだが、ぼくの斜め前に座っていた大学生くらいの女性2人と目が合ったようで、女の子はそっちの方に行ってしまった。その大学生たちはぼくとは違って頭を撫でたり、ほっぺたをつついたりしていた。女の子もキャッキャいいながら喜んでいた。ぼくは他人の子どもには本当にさわらないようにしているので(東南アジアのいくつかの地域は頭撫でるのがダメってのを聞いたことがあるから余計に)、そうやって遊んでくれる方が子どもとしては楽しいんだろうなあと思って見ていた。結局女の子はそのまま30分くらい遊び、降りていった。ぼくに何も言わずに降りていったのが良いなと思った。ぼくにバイバイとでも手を振ってくれた方がこっちは嬉しいのだが、こどもはそんなこと考えるもんじゃない。自分が楽しいことだけしておけばいいのだ。

道中の田舎町(ここで変なものを食べ、食中毒になる)


セプテンバーさん
シェムリアップのホテルに着いた。旅行好きの母がとってくれたホテルはかなりええとこだったようで、ホテルマンの方がものすごく丁寧にもてなしてくれた。その中の一人がぼくの担当みたいな感じらしく、部屋に案内してくれて、クメール語をちょっと教えてもらったり、彼女が知っている日本語を話してもらったりした。彼女の名はSeptemberさんというらしい。本当はクメール語の名前があるけれど、こっちの方が覚えてもらいやすいからね、と言っていた。そういえばRADWIMPSのセプテンバーさんという曲があるよな、と思った。
シェムリアップには5日間滞在していたので、Septemberさんとはそこそこ話すことができた。大学の話や、彼女の日本人の友達の話をした。同い年の大学3年生だった。ホスピタリティの勉強をしてるからホテルで働いてるんだ、と言っていた。インスタも交換した。また、ぼくは着いてすぐに食中毒になってしまい1日半くらい寝込んでいたのだが、元気になってフロントに行くと、会えなくて寂しかったよ、大丈夫?って話しかけてくれたりもした。まじでセプテンバーさんだな、と思った。
このホテルは繁華街まで無料のトゥクトゥク送迎サービスがあり、それを待っている時間が、主な会話の時間だった。音楽を聴くのは好き?ぼくの好きなミュージシャンの歌に、セプテンバーさんという曲があるんだ。“さん”っていうのはMr.とかMs.っていう意味で、セプテンバーさんってまさに君のことなんだよ。これを全部言うには、トゥクトゥクの待ち時間は短すぎて、なかなか話すことができなかった。チャンスを伺っていたが、次第に最終日のチェックアウトの時でいいかな、と思うようになった。
チェックアウト前日は日曜日だった。ぼくは夜遅くまでナイトマーケットで買い物をしていた。ホテルに帰ってきたときもホテルマンの方が出迎えてくれるので、そのときに話せればラッキーやなと思っていたが、セプテンバーさんはチェックイン客の作業に終始していた。部屋に戻り、ホテルのバーについて聞きに行くついでにフロントに行こうかなと思ったが、まあいいかなと思ってやめてしまった。明日は平日だということは分かっていた。
次の日、彼女はいなかった。やっぱりそんな気がしたんよなとか思いながら、ぼくは空港に向かうタクシーに乗った。シェムリアップ空港は今年に入って、市街地の近くから40キロほど離れた郊外に新しく移転した。空港につづくとても綺麗な道は、中国が整備している。そんな不気味なほどに整った一本道を通りながら聴いたセプテンバーさんを、忘れることはできないんだろうと思う。


出国
ぼくが関わったカンボジアの人たちは、ほんとに全員良い人だった。シェムリアップ空港で、ぼくは生まれて初めて笑顔の出国審査官を見た。
シェムリアップから飛行機でベトナムのダナンに向かったのだが、早速ダナン空港からホテルまでのタクシー運転手と喧嘩になってしまった。配車アプリのGrabを使ってるから料金は事前に決まってるのに、2ドルくらい多く払わされそうになり、通訳を頼んだホテルのドアマンですら運ちゃんに味方するので大変だった。カンボジアでは全くトラブルなんてなかったのに…。
こういうこと言ったら怒られちゃうけど、ほんまに国民性の違いやなと思った。カンボジアは経済発展のさなかで熱気に満ちた国なのに、みんなどこかおっとりしている。東南アジアらしく道路は二輪で埋め尽くされているのに、クラクションはほとんど鳴らさなかったりする人たちの国なのだ。

「カンボジア、居心地よすぎて祖国かと思ったわ」
これを帰国してからぼくはずっと言っていて、みんなはそれで笑って、ぼくだけは結構本気で思っている。


このカンボジア滞在の目的である、トンレサップ湖水上集落でのフィールド調査。遊んでばっかじゃないのだ❕


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