80年代を思いだす私の恋愛事情①
ピンク色の河津桜が咲き始めて春の気配を感じる今日このごろ。
梅の花も咲いているのか?
ってことで
梅を観に行こうと検索して引っかかったのが大田区の本門寺の近くにある梅園。
夫と観に行きました。
と、ここから書くのは梅が綺麗だったとかそんなことじゃなくてまたまた大昔の失恋話
まだ現在の夫と出逢う前の話で、大田区池上に住んでいたことあるんだけどそれよりもっと前の話。
80年代、大学卒業してから1年間の就職浪人ぽいアルバイト生活をしていた時、卒業旅行の旅先で知り合った関西出身のある男と手紙のやり取りをしていたんだけど、その男が夏休みにサプライズで私が当時住んでいた部屋にその頃めちゃくちゃ流行っていた真っ赤なホンダのCity(ボックス型の車)に乗ってやってきたんだよね。カレの愛車、めちゃくちゃ目立った。
私がその時住んでいたところは坂の上にあったおんぼろアパートで車が1台通れるくらいの細い坂道あがったところだったから、あの頃はナビなんてついてないからよくぞたどり着いたという感動すら覚えた。
「動物的な感でここまできたよ。」
って
なにそれ?!
そのひと言でまんまと
惚れてしまったよ
関西から遊びに来てくれるなんてめちゃくちゃ嬉しかったから舞い上がっていた
「このあと、何も予定ないしホテルも取ってない」
「じゃあ家に泊っていきなよ」
最初は躊躇していたけど、私の押しのイッテで泊って行くことに。
その夜
私たちは体の関係を持ちました。
大学4年生の時に元カレと別れ、シロに捨てられて以来の性行為だった。
これがきっかけで遠距離恋愛が始まったのだけれど私が本気で好きになり過ぎてあっという間に別れてほしいと手紙が来た。
体の関係を持ってしまうとどうしてもソレに依存してしまうんだな。
私はどうやら言いたくないけどこの頃からセックスに溺れるタイプだったんだな。
離れているから会いたくて会いたくてアタマがおかしくなっちゃった私は重すぎたんだ。
カレは関西の大学を卒業して、大手の自動車メーカーに就職して当時は鈴鹿の工場で研修をしていたんだ。その研修が精神的にキツかったのかもしれない。
「給料泥棒みたいだ」
と手紙に書いてあったから、研修中は想像していたことと全然ちがっていたのかもしれない。
私もその時はちゃんと就職しないで県立高校の非常勤講師やりながら塾講師のバイトをしていたから不安定だったし、やりたい仕事ではないと気づいてしまった時だった。
「センセイ、もう我慢できません」
ていうエロい類のイタズラ電話もしょっちゅうかかってきてた。
あの頃は個人情報ダダ漏れだったからね。たぶん教え子たちからのイタズラ電話だったんだと思う。
そんなイタ電にも嫌気がさしていたし、高校教師になりたいのか?自問自答したけど将来のある子どもたちに対してこんな責任ある仕事やりたくなくてやっていくのは失礼だと思って1年でこの生活を辞めた。
遠距離恋愛する余裕なんてお互いになかったのかもしれないと今なら思える。
私はある日夜行バスに乗って鈴鹿までカレに会いに行ったんだ。
その前にどんな流れだったのかうろ覚え過ぎるのだけれど、私に会いに来てくれた時なのか、別の時なのか中華街へ遊びに行ったこと、三浦半島へ海水浴行ったこと、富士山の五合目までドライブしたことを覚えている。
その時のことをまた小説風に書いてみたい。
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