処世
真夏のことだった。季節の描写ができない。6年生だった、と思う。地元の小学校には児童クラブが併設されていた。放課後に親を待つ子らに簡単なお菓子を出したり、脚の子も頭の子もひっくるめて実りある活動を見守ったりする場所だ。夏季休業日には児童を朝から晩まで預けることもできて、特に縁日には恒例で大きな行事なんかも行われていた。
児童といえども、大人と同じように生活はある。うしろに並んだ人からそのように名付けられる一日の手触りはある。花々の事情で、夏、ほとんどの時間をそこで過ごす児童もいるとなれば、そのクラブは即ち、生活の青みがかった部分が寄り集まった奇怪な住宅に様変わりする。改めると、機能の面でとても異質な場だったと思う。
建物の傍には、樹齢のいった楠が燦々と立っていた。小学校のシンボルである。思えば、私の根幹はあの楠の夥しく這ったコンクリートの罅割れに植わっていて、それが現在の私の柔い楚の礎であるようだ。年長の甘やかな囁きと、年少の執念が生きて聴こえる。ゆっくりと進む密会によって、この子たちの優しさが分化して、貪欲さを得る。こんなにも色付きのいい光景を今までさっぱり忘れていた。
プールが開放されていた。監視員を児童の親族が交代で務めるので時間の制約もあるが、授業よりもずっと自由にやっていた。私は耳の持病でまともに泳げない。それでも、ビート板を胸に抱いて浮いているのが、熱狂のうるさい気持ちの傍らに腰掛けているのが、なりに好きだった。側辺の滑りや、石垣に設けたフェンス、色々のバスタオルの連体や、ただの青白など、プールの総体が激的に好きだった。初めての俯瞰は水中で起こったと思う。
水着の次の軽やかな服装が好きだ。私は同級生の女の子と隣り合って、手品の話をしていた。この子は初恋の相手ではなかった。生き物係をよろこんで担当していて、去年まで白夜を知らなかった子だ。私は小分けの棚に肘突いて、窓の光沢を見ていた。彼女はTシャツ一枚で、濡羽色の髪を真っ直ぐ下げてケラケラ笑っていた。こんな日から今まで、女の子を笑わせたいとずっと思っている。全開の出入口から爽快に通気する。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?