トイレットペーパー使い終わったら次の人のこと考えて新しいのつけとけよ!って強く思う。
ある日、上の方から伊勢の山に行きなさいと言われて行ったのが5年前の今日だった。
車で向かったのですが、
行きからバッチリとケータイは不自然に電波障害で使えなくなり、
一緒に行った家族のケータイまで電源が切れ、充電もできない状態になった。
高速のインターチェンジで夕食の富士山うどんを食べた時、
急にケータイが使えるようになった。
少し長くなりますがなるべく短くこれまでの事を説明させて下さい(^^)
考えてみたらこの力をハッキリ認識する前、
ずっと幼い頃から変わった子だったのかもしれない。
産まれるお家を選ぶ時、
2DKのアパートに玄関を入ると正面に暖簾があり、右の寝室に小さなテレビがあり、
まだ0〜1歳くらいの姉が寝ていた。
飲み歩いて帰らない借金魔の父、泣いている母はノイローゼみたいに姉を叱っていた。
もし私がこの家を選んだらきっと辛い人生になる。
でももしこの家を選んだら私は姉を守ることができる。
私のことを可愛がってくれる姉がいるこの家を選んだ。
怖いけど心は愛に溢れていた。
この世に生をうけた。
私は泣き虫だった。
ただただ悲しかった。
『どうして大切な人を傷つけるの?
自分のことしか考えないと不幸になるよ?
誰かへの愛で生きて!
大好きなパパ、ママ、どうか分かって!
姉を見てあげて!
私にも愛をくれたら何倍にもして返すから愛を貸して!』
そんな思いは届かなかった。
保育園は大嫌いだった。
生意気にも下らない自己主張ばかりのガキ(言葉が悪くてすみません)が、ワガママばっかり言ってる場所、
そしてそんな子どもの気持ちの核心を全然分からないまま仕事にいっぱいいっぱいな先生。
そんなところへ行ってる時間があるなら、
借金魔の父に狂ってる母と一緒に居る事に時間を使いたかった。
家族を守るのが私の産まれた意味なんだから。
相変わらず泣き虫の私が泣き虫をやめようと決意したのは小学校入学前だった。
私を溺愛してくれる大好きな姉が小学校に上がる事を心配しているのが分かったので、
もう姉を解放してあげたかったのと、
心配を解いてあげたかった。
姉に「私、もう大丈夫だよ、泣き虫やめたよ!」
そう伝えると
姉は本当?と言ってしねコールを始めた。
「しーね、しーね!」
何度も繰り返される大好きな姉の衝撃的な言葉。
それでも私は泣かなかった。
姉は母を呼んできて、母と一緒にしねコールを繰り返した。
私はついに泣いた。
姉への愛より自分の存在する意味が無くなった事が悲しかったのかもしれない。
しねコールはしばらく続いて、
それから私は何人ものお友達ができた。
名前は私がつけた。
感覚でつけてあげられた。
男の子みたいな人、優しい人、いつも怒ってる人、外国人みたいな人…
年齢も様々だった。
ひとり増えるたび歓迎して、一人一人自己紹介をして仲間としてお互い様でいる事を約束した。
バレちゃいけない気がして家にいる時、1人の時だけお友達といろんなお話をした。
中には私の存在を否定する人もいたけど、
その度守ってくれる人もいた。
十何人もいたら個性も様々だ。
小学生のある冬、学校に疲れてストーブの前で寝てしまった私を
母は叩き起こし、
蹴ったり踏みつけたり罵声をあげて殴ってきて、
最初は痛かったし怖かったけど、
スイッチを切る事を覚えて、
パチンとスイッチを切ると痛みを感じなくなって助かった。
一人になった時、
「あのスイッチがある事、誰が教えてくれたの?」
と、沢山の友人に私が問いかけると、
まさか予想もしない私を否定していた人だった時、
私は生きていたいんだ、生きてていいんだって感動で涙が止まらなかった。
中学の時は塾をサボって星空diveするのが大好きだった。
意識を宇宙に飛ばして地球を眺めたりした。
不思議と宇宙から見た私の壮絶な毎日すら愛おしく、かわいらしく、小さな事だと感じた。
実際に体験するのはこんなに辛いのに、宇宙は偉大だなぁ。
色んな星の方に気のまま飛んで、
まるでお母さんの胎内にいるみたいな絶対的な安心感と、
束の間の心からの休息を愉しんだ。
高校生の時、友人からの電話の着信を見た時、
あぁ悲報だなと思って改めて友人からかかってくるのが怖かった。
まだ聞いてない内容まで分かっていた。
悲報を知り、内容も合っていた時も、
みんなこんなもんだろうと思って特に気にしていなかった。
高卒後は進学出来なかったのでバイトをした。
その頃にはさすがに目に見えない世界がある事に薄々気づいていて、
バイトの帰り道、いるはずもないおじいちゃんが家にいて1万円くれたら目に見えない世界を信じると心の中で思いながら帰ると、
呆気なくその通りのことが起きた。
それでも信じなかった。
成人したあとも、
私の波乱の人生は続いた。
やめてと言って逃げる私の足を引っ張り、
子どもを作ろうとする。
ある日、一人で妊娠が分かった時、
子どもを授かった喜びと不安を一人で抱きしめた。
泣きながらどっちの涙かわからなくなった自分に罪悪感を感じた。
妊娠中の私を当時のパートナーは精神的に徹底的に縛りつけた。
妊娠8カ月の時、実際に暴力が始まった。
倒された私はお腹をぶつけて地面に丸まった。
鼻で笑ってその場を去るパートナーよりも、お腹の子が何より元気に生まれて来れるか心配で仕方なかった。
ひたすらお腹の子にこんなお家でごめんねってたびたび謝った。
赤ちゃんは元気に産まれてくれた。
育児中、自動シャッターが勝手に開いたり、
テーブルの上の物が勝手に動いたり、
娘が誰かいるよ?って言ってきたり、
不思議なことは続いたけどそれでも信じなかった。
信じなかったけど、
惹かれていた。
こんな力がある人になって地球を救えたらいいなぁ、神様私に力を下さい!
食事を支度しながらそんな事を考えたりもした。
ある日を境に私はオーラを見るようになった。
そして、死者の声が聞こえて眠れない日が続いた。
怖くて逃げたかったけど、
どう逃げるのかわからない。
仕方ないから話を聞いて答えるようにした。
すると、時間はかかってもみんな生きてる人と同じか、それ以上に愛に溢れて素晴らしいことに気付いた。
それでもメッセージの内容は厳選して、
聞く事に徹していた。
説明が長くなったが、
そんな私がこんな風に伊勢の山へ行くなんて、
行動するのは、かなり珍しい事だった。
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