001.語学
他人から見れば、「人生がうまく行っている」部類に入るのかもしれないが、自分自身では完全にうまく行っていないと思っている。ただ、それは他人には全く理解されない。人の生き方に正解があるのかどうかも分からない。
イベリア半島と一体どう繋がるのか分からない分野を専攻していた私が、いつの日からかイベリア半島に関連する内容を含む研究を始め、知らぬ間に最高学位まで取得したのだが、まだ自分の人生には納得がいかない。そして、大分遠回りをしてきた(と思っている)。外国語を学びたかったのに、なぜか自分で選択して日本文学科に入り、日本語学を専攻した。もちろん入試に落ちたわけではない。(自分で選択したのだから)昔から海外が好きだった、でも、もう少し海外を相対的に見るためには、母国である日本を深く知る必要があると思ったのだ(高校時代は)。学科の講義に馴染めず、逃げるかの様に別の学部学科の講義を受けた。大学に通う意義はこれだ、と思った。何度も大学をやめようと思ったけれど、結局卒業・修了した。コロナで長期の留学は出来なかった(行き先も、助成金にも採択されていたが。)
「完全にうまく行っていない」と書いたが、それなりに楽しんでは来たと思う。行きたい国で、見たいものを見て、研究も進めた。色々な人や素晴らしい機会に恵まれてきた。辛い時もありすぎたが、とても幸せだったと思う(成功バイアスではない)。でも、いつも、何かが中途半端な気がした。贅沢な悩みなのだろうが、私に取っては大きな問題だった。
それぞれの人が、それぞれ学んできたことがあり、それにプライドを持っているだろう。何が今の私に足りないか、と考えた時、色々足りないものはあるが、やはり一番足りていないのはイベリア半島の言語や歴史、地域研究をしてきた人たちに引けを取らない語学力であろうということに気がついた。何度も「贋物」の様に扱われて心が揺らいだ。そんな目で見られたのは日本の中だけの様な気もする。
「語学が出来る」フリをしたことはない。しかも、私が研究対象にしているのは、古い時代の言語であって、現代のものとは大分異なる。古い文献を現代の言語の発音で発音して良いのか、いつも深く悩まされる。
ただ、勘違いされて、(相手は無意識なのかもしれないが)攻撃されて、毎回傷つくことになる。それならば、攻撃されないくらいさっさと語学力を上げれば良い、そう思い直した。
いつか、私が研究対象としている時代のイベリア半島人が空から降ってきて、私に話しかけるかもしれない。勿論、彼らは或る事情により、日本語も或る程度は(人によっては高度に)運用出来るので、私が言い淀んでいるのを聞いて、日本語も交えて話しかけてくるかもしれない。そんな時、私はどんな言葉で話しかけよう。嫌いな人たちのためではなく、好きな人たちと楽しく話すためだけに、言語を学びたい。
結局上手くいかないかもしれないが、やはり好きな言語はとことん鍛え上げていこうと思っている。それが私の残りの人生でやることのうちの一つ。最近ようやく自分の好きなものが見えてきた様な気がする。
#良さそうな勉強法があれば、時間がある時に、またnoteに書いてみようと思います。イベリア半島(言語・歴史・文化等)が好きな人たちのnoteも見てみようかなと考えています。