賢く年を重ねていきたい/できるだけお荷物になりたくない/こどもすぎる自分との葛藤
義実家に行った時、義祖父の一周忌の話になった。(今年の秋一周忌の予定である)
わたしは義祖父とは数回しか会ったことがなく、もうその時には90を超えていて結構お年寄りな感じだったが、遺影は少しだけ若く、表情もよい写真が使われていた。
義母に、おじいちゃんのこの写真は少しお若いですよね、と話すと、5年くらい前に自分で遺影を撮りに行ってたよ、とのこと。
自ら終活をされて素敵だと思った。
ちなみに、出会った時には既に耳がすごく遠かったけれど、わたしの名前を覚えてくれて、あるお正月に義実家に帰省した時には、jasmineさんゆっくりしていってくださいね、と声をかけてくれたことを思い出す。
義祖父には孫がたくさんいるのに、その配偶者の名前を覚えてくれているなんて、と嬉しかった。
亡くなったときは施設に入居していたが、朝までは自分の部屋から出てきてご飯を食べていたそう。
昼食の時間になっても部屋かは出てこないから、と職員さんが確認したら、呼吸が乱れて危篤状態になつていたとのことだった。
施設にはいたものの、最後まで食事には自分で出てこれるほどには元気だったのだなと思った。
そして長らく苦しむこともなく天国に行けたんだな、と。
ピンピンコロリに近い感じかなと思った。
自ら遺影を用意したりと終活をされていたから、そんな形でお迎えがきたのかもしれない、なんて思ったりした。
不謹慎かもしれないけれど、割と理想的な逝き方だと思った。
うちの祖父母…終活とか考えてないだろうなあ…
祖父に関しては、何度も救急車で運ばれては不死鳥のごとく舞い戻ってくる、という時期があった。
救急車を呼ぶ事態になるのも、だいたい祖父が変に体調不良を我慢したがゆえである。
最初は心配していたけれど、だんだん、またか……と思うようになっていたのを思い出す。
(その時祖父はまだ祖父の自宅に暮らしていたのと、私も独身だったこともあり、ちょくちょく母について県外の祖父宅について行くことがあった。)
施設に入居している祖母もだけれど、あんまり先のこととか考えてなさそうだなと正直思う。
終活だなんてこれっぽっちも考えてなさそう……
わたしは自分の子や孫(もしできたら)には迷惑をできるだけかけずにあの世に行きたい、ということを本当に思う。
祖父のことは、小さい頃から大学生くらいまではすごく好きだった。
よくかわいがってもらっていた。
でもここ数年でそんなこともあり、母からも、過去のことも含めて愚痴られることも増えた。
そして、わたしが散々頭を悩ませている母がこういう性格になったのは、母の両親である祖父母が大きな原因だよなあとか思うと、祖父母のことが年々好きから離れていく自分がいる。
(こんなことを言いながらも、私自身が普段祖父母の面倒を見たりは全然していない。)
母が60をとうに過ぎてもずっと面倒を見ている姿を見て、正直こんなに長生きしたくない……とすごく思ってしまう。
今でもおじいちゃんおばあちゃんを大切にしている友達の姿なんかを見ると、本当にえらいなあと思う。
何より、わたし自身もあんなに祖父母にかわいがってもらったのに、今やもういいよ、なんて思っていて、我ながら自分やばいやつだな、とも思うのだけれど。
まあ今はいろいろあるけど、昔たくさんかわいがってもらったしな、となれないのがわたしの稚拙な部分なんだろう。
(母からも散々この件を言われまくっている)
別に虐待を受けたという程でもない。
むしろお金はかけてもらったし、それも、親から無理やりさせられたわけでもなく、希望を叶えてもらう形ではあった。
それでも、愚痴を吐かれたとか、理不尽なことを言われた、親が不仲だった、ということなどが積み重なって、実家関係のことを自分の中でうまく処理できなくて、もう何もかもが嫌だ!できるだけ関わりたくない!ってなる自分はこども過ぎるのでは、という葛藤と未だに日々戦っている。
また近いうちに、カウンセリングにかかれるようにしたいな。