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蜷川実花展へ

 蜷川実花展に行ってきた。
忘れないように。艶やかで恐ろしい地獄のような、それでいてどこか心地いい天国のようなそんな蜷川実花さんの世界を心に閉じ込めたくて。

Breathing of Lives

 入って最初に見た作品。雑踏・都会の慌ただしい息遣いに苦しさと少しの心地よさを感じながらも、水・金魚といった明らかに私が生きている世界とは違う時間の流れを感じた。水槽のような、ブラウン管テレビのようなもの越しに眺める私たちの社会はどこか生きづらさを映し出していた。小さな箱から見る大きなビルは狭そうで、ネオンの光は異物だった。

Flowers of the Beyond

 4000本以上の彼岸花に囲まれながら進む一本道。「本当に私死んだのかも。」そう思わせるような絶望感。私が死ぬ時に絶対彼岸花なんて送らないでください。彼岸花が植っている墓地に私の骨は埋めないで。そう思いながら、歩かざるを得ない冥界へのレッドカーペットを歩いた。なんであんなにも赤は魅力的なんだろう。絶望感に混じって、自ら足を進めたくなる私も確かに存在していた。赤に惹かれる私がいた。

Liberation and Obsession

 蜷川さんの小さな作品集。独り・人の目・噂そんなものを感じた。独りは怖い。人の目は残酷に私を突き刺してくる。人だけではない、金魚だってそう。そういえば、私がむかし飼っていた金魚たちは一匹の金魚をいじめてたな。口元を切り取った写真では噂を感じた。蝶の写真でもそう。一つの花から次の花へ。特に嫌いではないし、昆虫の中では好きだけど。蝶の身軽さ、口元の写真。どうしても噂話へと連想してしまう。
大切なものは心の中にしまっておこう。

Whispers of Light, Dreams of Color

 真っ赤な冥界を抜けた先には、クリスタルガーランドの世界。思わずハッと息を呑むようなそんな空間。平成女児が好きそうなものの詰め合わせでゆらめくそれらは、私にとっては宝石よりも何よりも宝箱だった。私を構成してきたものが堂々と存在感を持って輝いている。当時好きだった子にもらった偽物のダイヤも、お友達と交換こしたあのハートもここにあったんだね。幼少期の私を忘れないでいてくれてありがとう。

Silence Between Glimmers

 オーロラフィルターに包まれる私。視覚的に面白くてなかなかに気分が良かった。ただ、私は普段から何かフィルター越しでしかものが見れないことに突然気付かさせる。「嫌い」という色がかかったフィルターでものを見るとその人がすること全部嫌いに見えるし、「好き」のフィルターで覗いてみると何をしていても好きに見える。「憧れ」のフィルターは、対象を輝かせるし。
案外、フィルターも悪いものじゃないのかも。

Dreams of the Beyond in the Abyss

 これぞ蜷川ワールド。不気味なほど鮮麗な花のシャワーが私を待ち受けていた。生花と造花の組み合わせ。「今」を生きているはずなのに時が止まっている、そんな感覚。ここにいると心地が良すぎる。これ以上に言葉が見つからない。人の目も噂話も自分自身の感情とも何にも向き合わなくていい空間だった。
花のシャワーを抜けた先の奈落は一層私を「無」にさせる。一層下の私は何をしているのだろうか。一層上のあのカップルは何を話しているんだろう。二層下にいるあの家族は、あの女の子は。本当にどこが現実なのかわからなくて、どの層にいる私が実在している私かわからなくて。思考と感情だけは止まらないのに私の実体がどれかわからない。

Embracing Lights

 一気に私を現実に近い世界へと戻らせてくれた作品だった。人の噂の象徴に見えた蝶も、穏やかな光に包まれていると幸せの象徴へと姿を変える。私を監視しているように見えたあの金魚も水の中にいれば優雅な時間を見せてくれる。私の中に世界があるとするなら、足りないのは光なんだろう。物理的な光じゃなくて、なんていうか、もっとこう…。人のあたたかさみたいなもの。こんなふうに書いちゃうと人のあたたかさに触れていないみたいになるけど、そうじゃなくて。あたたかさは心地がいいけど、冷たさには勝てなくてすぐに忘れちゃうから。ずっと感じていたいから。


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