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変貌する港町 - 浦安散歩で見えた街の記憶と現在

変貌する港町 - 浦安散歩で見えた街の記憶と現在


久しぶりに体重計に乗ってリバウンドを実感し、思い立って浦安まで散歩に出かけました。私にとって浦安は5年ほど住んでいた思い出の地。

新浦安によく訪れるものの、今回は普段足を運ばない元町エリアへ。まずは市役所近くの郷土資料館を25年ぶりに訪れました。

激動の歴史を紡いだ街

今やディズニーランドで知られる街ですが、昭和24年のキティー台風から10年間の歴史は驚くべきものでした。当時の浦安町は、アサリ漁を中心とした質素な漁業の町。キティー台風の被害に加え、江戸川区の製紙工場からの汚水による漁獲量の減少に苦しみました。漁業関係者は工場の操業や埋め立て計画に抗議を重ねましたが、町の財政は悪化の一途をたどります。


そんな中、オリエンタルランドの建設計画が決定。当時の3倍規模の埋め立てと共に、「住宅地」「鉄鋼工場」「ディズニーランド」という三本柱による街づくりが始まりました。町職員の給与さえ支払えない状況だったという説明でした。まさに背水の陣で、財政再建を賭けた大胆な街づくりに踏み切ったのでしょう。

計画都市としての特徴

住宅地開発では120平米を平均とするマンション建築基準を設け、富裕層の誘致を図っているように思います。鉄鋼団地は環境負荷が低くコスト効率の良い産業として、そしてディズニーランドは言うまでもなく街の象徴として機能しています。元々の漁業関係者も土地を得て不動産経営に転身し、昭和30年代の苦境から多くの人々が恩恵を受けた印象です。

今日散歩した境川周辺では、かつての漁業関係者の居住地に盛り土された豪邸が点在しているのを目にしました。川沿いは小樽運河を思わせる趣のある景観に整備されています。

現代の浦安が持つ独自性

浦安市は比較的高所得者が多く、リベラル層が集まる人工的な計画都市として特異な存在です。特に海沿いの都市としては珍しい特徴を持ちます。幕張や八景島と似た面もありますが、行政単位としての一体性は浦安の方が強いでしょう。

東日本大震災の被災は街の性格を大きく規定することになりました。この10年ほどの不動産バブルの影響が比較的少なく、落ち着いた発展を遂げています。もし被災していなければ、海沿いには外国人投資家向けのタワーマンションやリゾートマンションが林立していたかもしれません。

現在の浦安は、豊洲・有明エリアとも幕張とも異なる独自の発展を遂げています。実需が中心の住宅地として、また豊かな財政基盤を持つ自治体として、居住地としての魅力は依然として高いのではないでしょうか。

そんなことを考えながら、市役所から境川沿いを浦安駅方面へ、そして旧江戸川まで歩いた今日の散歩でした。

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