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スポーツは無力であり大きな力を持つ

サッカーやフィジカルという切り口でこれまで繰り返し全体とパーツの話をしてきた。嫌になっている人もいるかもしれないが、まだまだ続ける。繰り返し表現し続けないと我々は知らず知らずのうちに要素還元的な視点に引っ張られてしまうから。

”〇〇という栄養素を摂れば膝の痛みがとれる”
”〇〇というスキルを身につければ成功できる”
”〇〇という実験で証明されたからあなたにもみんなにも当てはまる”

これらの表現にツッコミを千回ぐらい入れられなければ、要素還元的な視点から脱しきれていない。現代の社会は要素還元的な視点で溢れている。



サッカーという全体構造の中のパーツとして存在しているはずのフィジカルを要素還元的に扱ってしまうことでフィジカルブラックボックスを生み出す。「こうやればこうなる」という単純構図化は、少なくともサッカーには該当しない。サッカーそして人間の身体はそんなに単純ではないからだ。
単純構図化を筆頭に、フィジカル分野からは「フィジカルはこんなことができるんだという“主張”」が生じるが、全体構造から乖離しているためそのチームのパフォーマンスアップとの関係からは遠いケースが頻発する。(パーツの暴走)

パーツの暴走
全体構造における要素が、全体や他の要素との関係を無視して”やれること”や“数値の変化”による主張をすること。これらを指導者が鵜呑みにしてしまうと、筋力は強くなったがパフォーマンスが上がっていないなど「トレーニング成果とパフォーマンスのギャップ」を生み出す。

「正しい走り方」が先にあるのではなく、『サッカーにおいて要求される走り方の条件』(すなわちサッカースプリントの構造)が先にある。その構造内で許容される走り方が、『サッカーの走り方』である。ここを初めに提示しないフィジカルまたはスプリントコーチを信用して大丈夫だろうか。

これらは、フィジカルが”あなたのチームの”パフォーマンスアップに繋がるためにクリアしなければならない『必ず存在する』ハードルだ。



©️呪術廻戦

歯車としてのスポーツ

ここからが今回の本題だが、サッカーという競技も、スポーツという全体に内包されるパーツであり、そのスポーツもやはり日本社会という全体のパーツである。だから日本社会が存在しないと日本のスポーツは存在できない。
パーツとしてのフィジカルの役割がサッカーという全体における戦術の実行をサポートする手段だと仮定すると、社会という全体におけるスポーツの役割とはなんだろうか。



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スポーツは無力であり大きな力を持つ

私はこれまで、かのウイルスや震災のたびにスポーツの無力さを痛感してきた。
そしてロシアによるウクライナ侵攻を前にして同じ思いを抱いている。
スポーツは生命や生活の危機の前では無力であることを何度も何度も何度も見せられてきた。

スポーツは無力だ。


スポーツでパンデミックは止められないし、スポーツで震災で生活を亡くした方々は救えない。(そしてスポーツを媒介として存在する主従関係やパワハラによってスポーツに失望している人もたくさん知っている)
だから「スポーツは希望を与える・夢を与える」なんて表現は、私にはしっくりこない。
スポーツが先にあるのではない。社会の安定が先にあるのだ。
どれだけ美しい言葉を並べようと、私にとってこのことだけは揺るがない。



一方で、歴史的にスポーツが国威発揚や”スポーツウォッシング”に使われてきた事実も存在する。スポーツウォッシングは今も頻繁に使われていると感じている。

スポーツウォッシング
国や団体、会社、個人などが、スポーツを利用して自身のイメージを向上させようとしたり、問題を覆い隠そうとしたりすることを指す。
スポーツとホワイトウォッシングを掛け合わせた言葉。

スポーツは大きな力を持っている。
それが権力の維持や戦争、権力側の不正の目眩しなどに用いられることには憤りを覚える。



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スポーツの役割

スポーツが先にあるのではない。社会の安定が先にある。
社会が安定していなければスポーツは真っ先に排除される。我々は歴史的にも現在進行形でもそのことを何度も目の当たりにしてきている。

じゃあ社会の安定って何なのか、条件は?
そのためには社会のことをもっと知る必要があるんじゃないのか。
そんなことをスポーツを通して理解し、今まで遠い存在だったものが自分ごとになる。長期にわたって解決されていない社会問題の構造を紐解けるようになる。
さまざまな視点があると思うが、スポーツの役割とはこういうことだと思っている。

スポーツを通して社会問題を学ぶ。サッカーを通して人間というものを学ぶ。
スポーツを通して少子化問題(メンバーが足りない)を学ぶ。
スポーツを通して経済問題(チームにお金がない)を学ぶ。

なぜ子どもが少なくなってるのか?
なぜチームにお金がないのか?
なぜ活動場所がないの?
何が変わればこの問題は解決するの?

スポーツを通せば、全て自分ごとになる。



戦術動作インスタ/note用2.001

スポーツの社会的重要度を上げる方法

人権問題や人種差別問題というとっつきにくい問題だって、スポーツを通せば自分ごとになったりもする。
チームの勝利以外にもう一つの指導者の重要な役割は、チームにお金がない、活動場所がないなどのこれらの単純構図化しそうな問題の背後に存在する社会の仕組みや問題に気付かせ考えさせる問いかけをすることである。

目に見えるものは複雑な構造の表層部分が見えているだけである。
表層だけを見て反応していると”愚痴ばかりの人物”になってしまう。

問いかけは、親がやってもいいがスポーツというパーツの役割の社会的重要度を上げていくには、絶対にスポーツ指導者が担うべきだ。
これは少年スポーツに限らず、プロレベルであっても同じことだと思う。(プロレベルにあるならば指導者というより選手にその役割を担ってもらいたいが)



スポーツというパーツの”地位”が高い国は多くが社会問題とスポーツの距離が近い。
社会という全体の構造の中でこういった役割を担わず、ひたすら耳ざわりの良い言葉に溺れ、社会問題への意見や行動から遠い関係を取り続けると、スポーツはただの”無力な”娯楽にとどまり続ける。

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サッカー戦術動作アプローチ

戦術の実行と動きの構造を学ぶためのオンラインプログラムです。
目先の現象に目を奪われることなく、背後に潜むメカニズムを見抜く目を養うことに繋がります。


次回はサッカーのための減速能力のお話




全てはパフォーマンスアップのために。



中野 崇 
YouTube :Training Lounge|”上手くなる能力”を向上
Instagram:https://www.instagram.com/tak.nakano/

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1980年生
戦術動作コーチ/フィジカルコーチ/スポーツトレーナー/理学療法士
JARTA 代表
プロアスリートを中心に多種目のトレーニング指導を担う
イタリアAPFトレーナー協会講師
ブラインドサッカー日本代表戦術動作コーチ|2022-
ブラインドサッカー日本代表フィジカルコーチ|2017-2021
株式会社JARTA international 代表取締役

JARTA
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