終わりは始まりです🌸
令和4年3月31日。
記念すべき人生の転機となる日。
本日付をもって、34年間、お世話になった地方自治体を去ります。
この間、各方面でお世話になった皆様、本当にありがとうございました。
これまで私の関わってくださった全ての皆様に感謝します。
これまでの経験を次のステージで活かし、セカンドキャリアを歩んでいきたいと思います。
34年間の市役所人生は終わりを迎えますが「終わりは始まり」です。終わらないと次には進めません。しっかりとピリオドを打って、新しい世界に進んでいきたいと思います。
改めて、ありがとうございました🙇♂️
以下は備忘録。今日を迎えるにあたって、今日、書き留めておきたいことを。様々な想いで過ごしてきたこれまで。ここでは、今、思いついたことだけの殴り書きとなってしまっていますが、「じゃれっと・きむの履歴書」については、今後、シリーズにして書き起こしていくつもりです。
※なお、長文であり、お時間がある方、興味ある方だけお進みくださいね。
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🍀今日を迎えるにあたって
令和4年2月28日。自ら現職に終わりを告げるため「退職届」を提出しました。既に昨夏に申請していた早期退職制度での認定は無事に認められておりましたから、あとは退職日の1ヶ月前までに「退職届」を出せば、今年度いっぱいでこの組織の一員ではなくなります。
我が社の早期退職制度は、退職期日(令和4年3月31日)のひと月前までに「退職届」を出さなければ、早期退職制度の認定の取り下げへと移行し、来年度も残留となる、ちょっと変わってるなって思う制度。他の自治体もこんな制度があるのか知りませんけど、ある民間で早期退職をした方のお話を聞きすると、早期退職に手を挙げた段階で退職決定となるところもあるとかで、そう考えると我が自治体のこの制度は、人生の岐路を考えるための時間がしっかりと与えられることもあって、有り難い制度です。
そんな、融通の効く制度のお陰で、ひと月前の2月28日の期限ギリギリまで、退職するかどうかを考えることができた訳ですが、今回の退職を決断するまでに、独立か転職かと色々と思いを巡らせ、最終的には転職を目途におき、ギリギリまで転職活動をした上で、どこにも決まらない場合は早期退職制度の行使を見送り、在職を続けながら、転職活動を継続することにしていました。
そんな中、ありがたいことに、私を必要としてくれる居場所があったものですから、次年度の居場所が決まったことを受けて「退職届」を提出することにしました。
今日を迎えるために、本当にいろんなことがありました。
🍀自治体職員になったのはなぜ
昭和63年4月。地元の市役所入庁しました。私は18歳。高校卒業したばかりです。「初級」という職種で行政事務職員として雇われました。
この時、私は公務員になりたくて入職した訳ではなく、家庭の事情で大学進学を諦め、仕方なく就職したもので、当然、長く勤めるつもりもありませんでした。働きながら大学に行けることを知り、学費を得るために働くという手段としての公務員の始まりでした。
仕事が終わって大学に向かう生活を6年間継続。授業にはほぼ全て出席しました。「優」もたくさん頂きました。そして何より大学に行った本当の目的である「教員免許状」を取得することができました。
仕事が終わって、快く送り出してくださる職場の先輩方へのお返しは、休まず学校へ行くこと、そして高い成績を得ること、そう思っての6年間の仕事と勉学の両立でした。
卒業後、あとは教員採用試験を受けて、学校の先生になるだけでした。
役所で働くのは、ここで終わりだと思ったものです。
🍀教員にはなれずズルズルと…
教員採用試験、3回受けました。3回ともに不合格。今でこそ教員が足らないと話題になっていますが、当時は中学、高校で社会の教諭といえば、県下で1名とか2名しか募集がありません。仕事をしながら試験に臨む私は、当然、勉強量も足りませんし、不合格は当然の結果だったのかも。いつしか、受験への意欲が下がって行きます。
役所を辞めるに辞めれない状況。当時はバブルがはじけて就職氷河期に突入した頃です。就活などしたことない。そのままその場で働くしかない状況の中でした。当時、月に200時間近い時間外勤務をしていた部署にいた私は、地獄のような日々の公務員生活に嫌気がさし始めます。どうにかしてこの状態を抜け出せないものかと、なるだけ周りを見るようにしていた時、目についたのが中小企業大学校への1年間の派遣。
上司に黙って、すぐに、応募書類を書き申し込みました。
🍀中小企業を支援するための学び
無事に派遣に選ばれ、晴れて中小企業大学校東京校へ1年間の派遣研修に旅立ちます。この時に出会った43名の素晴らしい仲間(約25年たった今でも交流があります)との1年間の学びで、徐々に仕事の面白さを知ることができ、1年間頑張った証として「中小企業診断士」の国家資格を頂くことが出来ました。職場に復帰した後、中小企業の振興の仕事に9年間従事し、多くの中小企業者と共に、福岡市の経済の基盤を支える日々を送りました。
今、考えるとこの時が私の役所人生で最も充実していた期間であり、楽しく、やり甲斐があり、誇りを持って仕事に臨むことが出来た時期でしたが、
そんな時間は、後にも先にこの時だけでした。
🍀自治体職員としての仕事の意味
もっとも充実した中小企業の支援ので9年の日々ですから、そのままずっとその仕事を希望し、在籍を希望すれば良かったのでしょうけど、自分の視野を広げるためにと異動希望を出してしまいます。でも、これが誤算でした。この後、中小企業の仕事に戻れることはありませんでした。
いくら希望しても…。
それどころか、あの誇りを持って、やり甲斐のある充実した時間すら、取り戻すことがなかなかできません。それもで自分に与えらた仕事の中に、何か面白さを見つけようと必死になる私。自分を奮い立たせることが出来ることがないか無理やりにでも見つけ出して、自分の存在意義を探し続けました。そんなことを繰り返しながら、やっぱり自分のしてみたい仕事への異動の機会を待ちます。
けれども、心底頑張れる仕事に戻れることはありませんでした。この時の私は既に40代半ば。この組織で働くことの意味を、自分で考え、自分に落とし込むことが徐々に出来なくなっている自分が居ました。
今考えると残念なことですが、組織の中に自分の悩みを相談できる上司、先輩職員や同僚職員がほとんどいませんでした。入庁した頃には相談できる先輩がたくさんいましたが、今はどこに…。
外との世界との繋がりに注力していた私でしたから、もっぱら相談者は組織の外へ。でもそれは相談の専門家ではなく、懇意にしている知人です。
自分の属する組織の中で、私が日々想うモヤモヤや将来のキャリア形成について話ができる人がいれば、もっと違う自分になっていたかもしれませんが、47歳くらいの時からでしたでしょうか。妻に「役所を辞めたい」ことを本格的に伝えるようになりました。もちろん、妻の答えはNO!。辞めてどうするのか、とこの時は取り合ってもらえませんでした。
🍀頑張りたくなくなっている自分
「頑張りたくない」
もちろん、やるべきことはしますが、それ以上「頑張りたくない」。そんな気持ちがどんどん強くなる。あの頃の「フロー状態」のような仕事の仕方にはどうしてもならない。
頑張りたくないのに、給料をもらっていいのか。でも、頑張りたくない。
この妙なジレンマの中で、数年が過ぎていきます。相変わらず、誰とも相談なんかできない。
そんな状態でも、まだ自分のどこかに「この課題を解決すれば何か見えてくるかも」と、まだまだやりがいを見つけようとする自分もいる。
それは、組織に対して何かを期待している自分がいるということです。
3年前、大きな出来事があります。
ちょうど今の時期です。恒例のイベントである3月末の人事異動の内示。
その時に言い渡された異動先の聞き、私は上司に対して
「どうして、こんなことが出来るのか」
「全く持って希望もしないような部署ばかりに異動させるのはなぜ?」
「そのような人事しか出来ない組織はやめます」
と訴えます。この時は、言い方は悪いですが、のらりくらりと訴えをかわされ、結果的に退職届を出すまでは至りません。人事異動の内示に対する返事をしないままに、発令はされ、異動先(2m異動)へ行くことになります。
私は、ただ悔しいだけで全てを投げ出したい気持ちで4月を迎えますが、この時に腐れることが出来なかったのは、前任が係のトラブルを何も解決しないままにして引き継がれたことに、ものすごい違和感を感じたから。この出鱈目な問題だけは解決しないと、と思えたから。
「頑張りたくない」のに「頑張らねばならない」状況に、何度も精神的に病みそうになりましたが、部下の頑張りを見ていると投げ出せなかった。
🍀2年前の人事異動で静かに決断
なんとか重大な問題も全て解決し、チームの雰囲気も向上していく中、仕事を続けていた私で、あっという間に1年後の人事異動の内示を迎えます。
前年にあれだけ歯向かった訳ですから、どこに異動となるのかは、期待はしていませんでしたけど、この時に言い渡された異動先の内示を見て、糸が切れたと言うか、この組織で身を粉にして働きたいとは思えなくなります。
信頼関係が無くなった感じでしょうか。
しかし、この時は、1年前とは異なり、悪態ついて辞めてやると言うような行動に出ることなく、こんな嫌な想いを繰り返すだけの社会人人生を変えるには、自分で道を切り開くことを決断するしかないと、早期退職が実現できるよう本格的に準備を始めようと決意しました。
これが2年前の春のことなのですけど、この決意は、この後に起こるトラブル続きの日常業務の日々に掻き消されていくことになります。急増する時間外勤務、これまでの役所人生では経験したことがないような謝罪の連続、事務量過多の中で人員体制は不足、と目が回るような忙しさに日々やりたいことが忘れられていきます。
なかなか改善しない現状に、自分のマネジメント能力を疑い出しますし、なんとかしたいと思っても、過去のような手法は全く通じません。
早期退職するための準備の段ではなくなってしまいました。
🍀キャリアコンサルティングを受ける
3年前からキャリアコンサルタントの学びを始めていた私ですが、自分自身のキャリア形成に苦しむ日々でしたが、思い切って自分もキャリアコンサルティングを受けてみることにしました。
もちろん、相談先はキャリアコンサルティング技能士2級の学びを得たキャリアコンサルタントに。苦しい日々をつらつらと私は話す中で、ハッとするようなことを気が付かせてもらえます。
自分が考えていなかったこと
そんなの駄目と決めつけていたこと
そんな無理と考えていたこと
どこか気持ちもスッとしてきて、これまでやってきことは決して無駄でないということや、これからもっと気楽に今後のことを考えていいのではと思うようになります。
そもそも、私が公務員になったのはなぜか。ここに立ち戻ります。私は公務員になりたくて公務員になったのではない。だとしたら、今、現職を終えたとしても、そもそも30年以上もここで働いてきたことが、それだけでもう凄いことだ。
気持ちが整理されると、周りは気にならなくなり、自分だけをしっかりと見つめ、次にどうなっていくことが、自分にとって幸せか、やる気が持てそうか、踏ん張りが効きそうか、考える余裕も出来きます。
そして自分を楽にしてもらった言葉が「逃げてもいい」という助言。
これは、ちょっと危険な言葉ではあります。意味を履き違えれば、大変なことになるかもしれないから。私も「逃げる」という行動には違和感がありました。なんか「ずるい奴」みたいな感じですから、そうはなりたくないと思っていた訳ですが、「逃げる」ということも、ある時には大切なのかもしれないと思うようになってからは、さらに気持ちが楽になりました。
自分にとって何が一番か。
今回はそう考えよう、ってこの時に決めました。
ただ「逃げる」にもちゃんと逃げ方があります。それはしっかり踏まえないといけませんから、必死で考えました。
🍀転職活動は苦しかった
今回、早期退職する判断基準として、独立開業は妻から不安がられていたため、まずは転職することが大切なポイントでした。
転職自体が目標ではなく、独立に向けての準備期間(自分で内省するための時間)を確保するための転職でしたから、今と同じ働き方は求めていませんでしたが、まずは副業・兼業が可能な民間企業から、転職活動を始めます。
しかしながら、本業があまりにも忙しく、なかなか思うように応募書類も作成できません。相談にいく機会を作ることもせず、読んでもらえるかも分からない職務経歴書を書き続ける私。
民間企業はたったの10社程度しか応募してないという就活セオリーが全くできてない私。もちろんその10社からの面接のご連絡はなく、いわゆる、お祈りメールがエージェントから送られてくるだけでした。
完全に心は萎えていて、自己効力感も低下の一方。
相談したキャリアコンサルタントからの指摘で、この間の就活は何も出来てなかったことに気がつく訳ですが、令和4年度当初からの転職を目指すために、ここから巻き返さなければなりません。急遽、行政の就労相談窓口に出向き、一から応募書類の内容を見直しを開始しました。見せ方のポイント、応募先によって表現をかえる、といったことが必要なことは分かっているつもりでしたが、案外、出来ていないものです。
もともと文章作成は苦手な私ですが、上手に自分をアピールするためにも、文字にすることの大切さを実感しました。
最終的には、一つの公的機関(就職支援関係)に興味を示していただきました。
実は、この時、他社からのオファーを一つ頂いており、転職活動としては全滅状態だったこともあって、前向きに検討を始めているところでありました。
興味を示していただいた公的機関への転職を決めましたが、選択肢があればあったで選択することの難しさを合わせて経験することになりました。これはこれでとても苦しい選択でした。
他者から期待してもらえることの喜びと同時に、選択しなければならない苦しさ。自分がこの先進む道がどうあるのか、しっかりと考えておかないと、この選択の苦悩に押しつぶされそうになります。
🍀さあ、次のステージへ
私は、漸くスタートラインに立てたのではないかと思っています。
だから、これからが私の本当のキャリア形成かもしれません。これまでのキャリを否定するものではありませんけど、これまでのキャリアとはちょっと違う気がします。
まだまだ、学びを続けます。
将来的な目標は完全に独り立ちをして、中小企業経営の支援、特に企業の土台となる「人」の支援に焦点を向けた「シゴト」がしたいと考えています。
今回の転職はまだ目標に向けての通過点。
まずは次の新しい居場所で、新たな学びを得て、これまでの知見と融合させたアウトプットし、就職支援の世界でしっかりと貢献してくことに尽力します。
これからも応援、よろしくお願いします🙇♂️
고맙습니다〜😊
じゃれっと・きむ🌸
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