CDプレーヤーと絨毯
どうもこんにちは。
いかがお過ごしでしょうか^^
本日のタイトルなのですが、これは珍しく自分の実際にあったことが夢になって出てくる時の話の一つですのでタイトルに致しました。
私は幼少の頃からあちこちで生き物を捕まえてきては家で飼育していました。
朝起きてご飯食べて虫とり、昼食ってまた虫とり。
おやつを食べた後、捕まえた生き物の住処を作って入れてやりました。
風呂入って夕飯食った後はひたすら、玄関に山積みになった虫籠を観察しておりました。
夕飯の後の観察のとき、私の家では弟が宿題を進め、兄は防音室でトランペットの練習、姉は確かバレエのレッスン、お父様は出張で家におらず、母は台所で何かを作っていました。
時折、リビングから流れてくる美味しそうな匂いも気にならないぐらい集中した時でした。
私はハッとしたように、リビングの棚から当時兄が所属していた楽団がやる予定の「アルルの女」という曲を、虫籠の横に持ってきたCDプレーヤーで流し、再び一番下の虫籠に集中を向けるのでした。
皆さんも、ご自身が小さい時の記憶の中で、今でも脳内にその情景を流せるくらい確立して在り続ける記憶ってございますか?
私は時折それが、作品の撮影や構想を練ってる時にふとした引き金を引いてくれる事がございます。
さて。
繰り返し見る、記憶と同じ内容の夢がどういう意味を持つのか、私に詳細まではわかりませんが、確かな記憶と同じ内容、情景の夢を何度も見るというのは、少なからず理由のようなものは存するのでは無いかと考えます。
こういう夢の時、大概夢の中の感覚と自分の感覚がリンクしているような感覚がします。
ただ、自分の意志で体を動かせないことだけが、当時と違うところです。
触覚、嗅覚、思考、視覚、私の感覚のほぼ全てが起きてる時の自分とリンクしています。
要は、夢の中で身体の動きや生じるイベントは変えられないけど、頭の中で考えてることやCDプレーヤーの重さなんかはわかる・・・といった具合です。
広角でも撮影してみました。
面白いですよねぇ、夢って。本当に。
それでは皆様、ごきげんよう。