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#街中で見かける迷惑行為、注意する?しない?


#日常の中での小さな葛藤について
先日、近所の銭湯に行ったときのこと。
脱衣所で、ドライヤーを手に持った人が髪ではなく、全身を乾かしている姿を目撃しました。


首から背中、さらには足元まで、熱風を当てながら念入りに。狭いスペースにドライヤーの音が響き、他の人が使うのを待っている様子も見受けられたのですが、その人はお構いなし。


周囲の視線を感じつつも、私はその場で何も言えず、ただ黙って見ていました。

似たような経験は、街中でもありますよね。
例えば、駅のホームで大声で電話をする人や、自転車で歩道を猛スピードで走る人。
見ていて「うーん、これはちょっと…」と思う瞬間。

でも、そこで「すみません、それは迷惑になりますよ」と声をかけるかと言えば、なかなか勇気が出ないものです。


#注意するかしないかの分かれ道
こういう場面で、どう対応するかは人それぞれだと思います。
注意したい気持ちはあるけれど、
「自分が言って何か変わるのかな」
「逆にトラブルになったら嫌だな」という
思いが頭をよぎる。

私自身、銭湯のドライヤーの件では、「次に使う人が困るだろうな」と感じつつも、その場では何もせず、少しモヤモヤした気持ちを抱えたまま帰宅しました。


でも、考えてみると、注意するかどうかは状況やその人の性格にもよるのかもしれません。

例えば、明らかに危険が伴う場合——子どもが道路に飛び出しそうとか——なら、反射的に声をかけるでしょう。
でも、ドライヤーの使い方のような
「迷惑だけど、まあ我慢できるかな」というグレーゾーンだと、つい見過ごしてしまう。
そこには、
「自分が正義を振りかざすのも何か違うかな」という遠慮もある気がします。


#日常の中での小さな気づき
街中で見かける迷惑行為って、実はその人の視点では「迷惑」と気づいていない場合も多いですよね。
銭湯のあの人も、もしかしたら
「これくらい平気だろう」と思っていたのかもしれない。
自分だって、無意識に誰かに小さな迷惑をかけてしまっている瞬間があるかもしれない——そう考えると、ちょっと立ち止まってしまいます。

だからといって、全てを我慢しろという話ではないんです。
時には、勇気を出して
「こうするとみんなが気持ちよく過ごせますよ」と伝えるのも、優しさの一つかもしれない。

ただ、その伝え方には気をつけたいところ。
「注意」ではなく「提案」くらいの柔らかさで、相手が受け入れやすい形で伝えるのが理想的かなと。


#あなたはどう思う
銭湯の脱衣所や街中で、そんな場面に遭遇したとき、あなたならどうしますか?そっと見守る派ですか?それとも、さりげなく声をかける派?

どちらにせよ、日常の中で「どうするのが心地よいか」を考えるきっかけになる出来事って、意外と大事なのかもしれませんね。

私にとって、あのドライヤーの一件は、

「次はもう少しスマートに対応できたらいいな」と思わせてくれる小さな気づきでした。

完璧な答えは出せないけれど、こうやって文章にしてみることで、少し気持ちが整理できた気がします。

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