見出し画像

デマを処罰しなければならない時代になったという話

レプリコン騒動のMeiji Seikaファルマ vs 日本看護倫理学会はいよいよ訴訟への発展を迎えた。

日本国には言論の自由があって、表現の自由がある。
憲法ではそう定められているものの、私は現在の日本にほんとうの意味で言論の自由があるとか表現の自由があるとは思っていないので匿名でXをやったりnoteをやっている。
匿名で「ゆな先生」を名乗ってXとnoteをやるのは、本音で発言することがこの日本国では大変難しいことだからにほかならない。

本当に社会を良くしていくためには本音で議論をしなければならないし、社会のためになるならば都合の悪いことにも光を当てて改善をしていかなければならない。
感情的に「そんな事言うなんてひどい!」なんて言われない、自由闊達な議論が出来る社会を目指すべきだと思っている。

私自信が匿名で発信しているのは、本名を出すことで自分の仕事を失ったり、家族が批判にさらされたり報復されたり、様々な制限とバイアスがかかり、自由な発言が阻害されることを恐れているからだ。
特定の立場や属性に囚われず、自由に意見を交換し、議論を深めていくためには、ある程度の匿名性は必要だと考えている。もちろん、匿名性を悪用した誹謗中傷や違法行為、業務の妨害などは許されるべきではない

海外のXアカウント、特に米国系アカウントを見ると実名でやっている人の多さに驚くが、米国系企業で働く知人に聞くと、米国も上司にへつらい、迎合し、できるだけポリティカル・コレクトネスに配慮して日々生活していると言うから、どこの国でも発言の自由というのはないのかも知れない。

情報発信という観点では、かつて、出版できる、つまり本を出していることが大変な名誉なことであるとされた時代もあったと思う。
「本を出している人です」と言われると「お、すごい人だ」と私も若かりし時は思っていたときもあった。相手を尊敬の目でみていた。

2024年現在は「本を出している人です」と言われても、怪しいインフルエンサーなら誰でも出せるようになってきたと感じるし、むしろ私にも大手出版社から出版の打診も来たこともある。
時代が変わり、出版している人が大した人というわけではない。

出版不況と言われて久しいが、ネットメディアの台頭により、本も新聞も読まない、ネットニュースだけをみて生活している人も増えた。
実書店の数もずいぶん減少し、取次各社が大赤字に陥っているのを見ると、おそらく大小さまざまある出版社も非常に経営が苦しくなってきているわけで、必死になった彼らは本を買わせるために過剰なタイトルを付けたり、有力出版社ですら怪しい内容、時には陰謀論のようなものを出版したりして収益を稼ぐようになるのは言うまでもない。

他のメディアはどうだろうか。
新聞やテレビ局が常に倫理があり守れていたかというと、ときに新聞社やテレビ局も、ときに嘘の報道を行ったり、誰かを犯人に仕立て上げたり、芸能人や有名人のプライベートを晒し上げたりし、ときにそれが国際問題となったり、両国の関係に深い闇をもたらしたりてきたわけで、多くの人に迷惑をかけても来たのは事実であった。
松本サリン事件で犯人に仕立て上げられてしまった河野さん、オウム真理教事件でTBSに情報を流されてオウムに殺されてしまった坂本弁護士、もっと昔には太平洋戦争へ向かうのを煽った新聞社たちもあった。

現在でも、彼らは高齢者側の立場でしか話しをしないとか、若者バッシングが酷いとか、特定の政党寄りの報道しかしないなど、問題点は枚挙に暇がない。
結局、マスメディアも営利企業であり、広告収入が収益源であることから、とにかく視聴率や部数を稼がないといけないというプレッシャーの中で、倫理的に問題のある行動をとってしまうのだろう。

さて、2000年代以降、インターネットの普及により、誰もが発信できる時代になった。安価な端末もずいぶん普及した。
これは素晴らしいことではあるが、同時に玉石混交の情報が溢れかえり、何が真実かを見極めるのが難しくなった。フェイクニュースやデマが拡散され、社会に混乱を招くことも少なくない。
新聞やテレビ局の場合は、一応は会社であるから、本当にまずい情報やフェイクニュースを流す場合は社内で倫理的な制限がかかることも多少期待できるし、一応はBPOのような業界団体もあるし、最終的には株主もいるし、法人であり金の保管先はわかっているのだから訴訟になれば金を払わせたりもできるし、監視体制はある程度はあるわけだが、個人が発信源の場合はそういうわけにはいかない。

個人の場合、XやFacebook、TikTokなどのアカウントは、誰でも自由に作ることが出来て、無料である。
そして企業も、金持ちも、貧乏人も、高学歴も低学歴も、みなアカウントは平等であり、フォロワー0人から始まる。
発信の内容によってフォロワーが増えるのかが決まるのであるから、内容を工夫すれば大きな影響力あるアカウントになることも不可能ではない。

私のXフォロワー数は2024年現在250,000人前後であるが、私は名前も顔も所属も何も公開していない匿名アカウントである。
アカウントを作ったのは2017年頃であるが、作っただけの放置アカウントでありまともにXで活動をし始めたのは2020年であるから、4年程度で約25万人のアカウントとなった。
月間閲覧数は1億ビューほどになっている。

私のフォロワーは、医師、経営者、学術の専門家、様々な業界のプロからエリサラ、投資家、議員など、比較的社会的権威と地位、学のある人たちが結構含まれていて大変ありがたいが、もちろん社会的に低位な位置におり、学もなく物事の分別もつかないようなフォロワーももちろん多数ついている。

私が発信する内容が彼らフォロワー、そのまたフォロワーに読まれ、議論され、ときに政治家に言及され、ニュースにもなることもあり、外国のニュースに採用されたことまであるので、一定の影響力を持ったと言えるのだろう。
ときに間違えた内容などを投稿したときには、私のことを愛するフォロワーや学識者、専門家から指摘されることもあれば総たたきにされることもあるのだが、それでも叩きながらも不思議と愛情があるフォロワーがいて許してくれるのは大変感謝しているし、間違いに気づいたら私は訂正や削除もするようにしている。
一方で、正しい情報を誤っていると指摘してくる人もいれば、陰謀論を批判すると根拠不明な陰謀論で反論してくる人もいるし、私の伝える情報を何も疑わずにただ読むだけのフォロワーもいる。
読む人の見識も多様ということだ。

このような、個人が情報を発信できる世界をWeb2.0と呼んでいた時代がある。
かつてのWeb2.0というのは、個人サイトやAmebaブログとかLivedoorブログのようなもので発信をするというものだったと思うが、SNSの発展により、それらサイトやブログすらも用意する必要しなくてよくなった。
誰でも個人でも世界中に情報を発信できるようになり、しかも拡散していくようになったわけで、大衆はどこかの企業が査読して、フィルタリングして情報を閲覧していた時代から、情報を発信する側になった。

つまりは査読をせず、原典を確認もせず、正しいかどうかをある程度の組織や専門家がチェックせずに情報を発信できるようになった
私個人は匿名のまま、査読もされていないような記事を25万人に発信する事ができる。
その25万人が記事を気に入ったらそれをシェアして拡散できる。ときに1つの投稿が1000万ビューを超えるときもある。何百万人かが私の投稿を読んだのだろう。

私が、悪人だったらと思うと、これは恐ろしいことが起きている。
私がこのアカウントを悪人に売却したり、私が悪意を持って偽情報をばらまいたり、反社会的な投稿をして社会を混乱させたりしたらどうか。

今のところ、投稿内容にたまに間違いはあるとはいえ、悪意のある偽情報のバラマキになっていないのは、この「ゆな先生」アカウントの中の人が他に仕事があり十分な収入を得ていて、自己承認欲求も社会で充足されていて、さらに社会的な身分もちゃんとあるということだと思う。

「ゆな先生」はそこそこの学校も出ているし、X以外の本業の収入も十分にあり、本業だけで2000万はある。
X Blue(有料アカウント)には入っているのだが、Xの収益は毎月の金額は

ここから先は

5,162字

ゆな先生日記 基本プラン

¥500 / 月
初月無料
このメンバーシップの詳細

頂いたサポートのお金は、取材や海外の文献の調査などに使わせていただきます。サポート頂けるのは大変うれしいので、これからも応援いただけるとうれしいです! ゆな先生より