アサド政権崩壊の意味がわかる Note
「アサド政権が崩壊した」というニュースが一面を飾った2024年12月。
よくニュースで聞く「アサド政権」というのは何者なのか、一体なにが争点であるのか、今回は改めて理解していこう。
シリアは中東の重要な位置にあり、地中海に面し、かつロシアの南下政策の要衝でもあり、イランやイスラエルとの関係でも重要な立場をになってきた。そしてその歴史は、欧州の帝国主義の歴史とも深く関わりがある。
今日は「アサド政権」とは何なのかを理解していってほしい。
「アサド」には政権を作った「父アサド」と、今回政権崩壊したその息子「子アサド」の2名がおり、名前が似ているので父と子がわかりにくいところでは、本名に列記して「父アサド」「子アサド」という書き方をする。
第1章 アサド家の台頭とバアス党支配の確立:シリア近代史の転換点
まず、地図を見てみよう。
シリア・アラブ共和国、通称シリアは、肥沃な三日月地帯に位置し、古代から文明の十字路として栄えてきた歴史を持つ。
しかし、近代シリアの歴史は、オスマン帝国の支配、フランス委任統治時代を経て、独立後もクーデターや政治的不安定が繰り返される苦難の道のりであった。
その中で、アサド家はどのようにして権力の座を掴み、強固な支配体制を築き上げたのか。
本章では、アサド政権成立の背景にあるシリア近代史を紐解き、ハーフィズ・アル=アサド(父アサド)による権力掌握の過程を詳細に分析する。
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