バランの華
バランって好きだ。
バランっていうのは、お弁当に入っている草の形をした「仕切り」のことだ。
自分のこの解説が正しいのか自信がないので、、一応ネットで検索してみると株式会社折兼が「弁当や寿司の仕切りとして使用されるプラスチック製の葉っぱ。実在する植物であるハランが語源。緑色の山型形状が一般的だが、笹型や赤色のもみじ型など様々なバリエーションがある。」と載せてくれていた。
採用情報もついでに覗くと、なんか株式会社折兼で働きたくなってきた笑
もし折兼さんの偉い方がこれを読まれたら、コメント書いておいてください。
僕、行きます。バランのように働きます。いや、身を粉にして死ぬ気で働きます。
と、話を戻して。僕は12月から3月までの4ヶ月間、実家暮らしだったのでほとんど毎日母の作ったお弁当を持って出勤し、12時なると食べていた。大学卒業後も母にお世話になるものだな。今でもとても感謝している。
そして毎日母のお弁当を食べていて気がついたことがいくつかある。
まず最近の冷凍食品って美味しいんだなってこと。どこのメーカーかはわからないが、僕は特にイカのあんかけフライのようなものと、レンコンで何かを挟んであげたものが好きだった。
そういえば、冷凍チャーハンって美味しいらしいな。ラジオでもテレビでもなんどか耳にした。まだ買ったことないけど。
今度思い出したら買ってみよう。
それと、母はよく「海苔弁」にしていてくれたんだけど、シナシナになった海苔は箸で器用に切ったりして食べることができないため、一枚をベロンと剥がすことしかできない。だから色々諦めて海苔を一枚剥がして豪華なおにぎりにして食べるのが一番だとわかった。まあ、一般的に海苔弁はフライなどのおかずがついているため、全裸になった白米も孤独ではない。まあ、僕は白米自体が好きだから、おかずがなくても全裸をおかずに食べれるみたいn
そして最後に。バランには潔いかっこいよさがあるということだ。実は僕はお弁当に入っているレタスとかトマトとかの生野菜ってあまり好きではない。彩り担当とか栄養担当とかになるかもしれないが、個人的にお弁当にそういう要素はあまり求めていない。特に栄養はどうでもいい。そして、レタスとかトマトって他のおかずの温度で微妙に熱が入ったようになって、食感が変な感じになっていることが多くて苦手だ。
まあ、残せばいいんだけど、母がせっかく入れてくれていたこともあり、食べないことはあまりしたくない。でもな、、食べたほうがいいかな、、という葛藤をいつもしなければならなかった。
その点、バランってかっこいい。サッとラコステのワニのように控えめであるが、お弁当に確実に華を添えてくれる。しかも、食べなくてもいいので、生ぬるい野菜のときみたいに、あの葛藤をする必要もない。バランは自分の役割とは何なのかちゃんと理解して進んで脇役になる姿がとても潔く、いつも目立つことしか考えてない自分と違うので進んで見習いたい。
いや、どうだろうか。バランは実は僕と同じで目立ちたがり屋なのではないか。だって、黒とかグレーじゃなくて結構明るい緑色だし。もしかしから、バランって縁の下の力持ちではなくて弁当のムードメーカー担当なのか??
とはいうものの、唐揚げvsバランという勝負になった時に何を勝敗の基準にしても勝てそうにない。圧倒的に弱い。それに日の丸弁当とバランのみの、、しまった。白米と梅干しのみの弁当を日の丸弁当という文化が存在してしまったせいで、バラン弁当にもちょうどいいニックネームをつけてあげないとバランスが取れない感じになっている、、バランだけに。そうだな、、兵どもが、、夢の跡、、弁当、、
よし。無理だ。えーー。株式会社折兼さん。それかどなたか命名お願いします。
てことで暫定バラン弁当で話を進める。
奥さんと喧嘩した翌日に日の丸弁当が出てくるよりもバラン弁当が出てくる方が精神的にショックなのか。いや、でもバラン弁当って、確実に怒っているというメッセージは伝わるけどやっぱり食べなくてもいいからコンビニで好きなもの買えるし、意外とショックじゃないのかもな。
ところで
今回のエッセイのタイトルを「バランの華」というシャレにしてみたのですが、くるり「ばらの花」から思いつきました。
相変わらず僕の好きな曲なのでリンク載せておきましょう。
最近PVのフルバージョンがアップロードされてましたね。
今のくるりも好きだけど、やっぱりこの頃が好き。
PVのみんなの服装も無頓着で控えめでいい。この広い海もいいし、空が曇ってるのもいい。曇りの海を見ると頭の中でこの曲のイントロが流れてくる。
語尾が「ぜ」だ。それがこの曲のかわいい雰囲気とのギャップになっている。
余談だが「安心な僕ら」を高校生の頃はずっと「明日僕ら」と勘違いしてた。
最終バス乗り過ごしたくらいでもう会えない関係ってなんなんだろうか。胸が痛むのなら次の日の始発にでも乗ればいいのに。と素直に思ったこともある。しかし、26歳になってちょっと共感できるようになってきた。
僕は大学卒業後、契約の更新と満了を繰り返しながら、契約職員としていくつかの職場を転々としてきた。その中でいろんな出会いはあったが仕事のみの付き合いで誰とも友達になることもなかった。当然連絡先を交換したりもしてない。年が近い人もいた。でも何もなかった。社会人になって気がついたが、大卒の契約職員の男性という肩書きってちょっと引かれる傾向にある。え??大卒なのに??って。
やりがいが一つもなくて契約職員の仕事ってなんのためにあるのだろうか?とか考えたこともある。難しそうに契約職員がいることで肩書きのヒエラルキーがどうとか「大卒」らしく理論を立てたりもした。やっぱり大卒のプライドをどこかで持っていたのだろう。仕事が全然ふられない時とかケータイも見れないしメールを閉じたり開いたりしたり、書類をとりあえず混ぜるとかもやってきた。今思うと、偽物なのに溶け込もうとしている僕はもしかして「バラン」みたいに存在だったかもしれない。
だからバラン好きなのかな。
それでも、契約期限が切れて最後の挨拶になると建前かもしれないけど花束や感謝の言葉をもらったりした。そうなるとやっぱりちょっと嬉しかった。
契約職員は深い関係でもないし、何の役にもたたなかったかもしれない。
それでもいつだって別れはちょっと切ないものだと知った。
やっぱりいい人もたくさんいたし、心のどこかで本当は仲良くなりたかった人もいた。だからもう一度前の職場に行って「皆さん。元気してますか。以前はお世話になりましたので、お土産を持ってきました。どうぞみんなで食べてください。」ってちょっと言ってみたいなとかもたまに思ったりする。でも、多分そんなことはできない。恥ずかしい。とても恥ずかしい。どんな服で行けばいいのかわからんし。スーツ??私服??
だから退職日に「あんなに近づいたのに遠くなってゆく」ってのがわかる。
好きな子にフラれた時ほどヘコむわけでもないし、そこまでもう一度会いたいとか思うわけでもないけど、思ったよりも「胸が痛むのは」なんの花に例えられましょう。というばらの花の歌詞とリンクする。
逆に僕のこと思い出したりしてくれているだろうか。もし思い出してくれてたらやっぱりそれは素直に嬉しいことだな。
またバランに戻るが、お弁当の中にある「食べ物」は人の体の中に入っていく。それとは違ってバランはすぐにゴミ箱の中へいく。でも、よくよく考えたら、その食べ物も結局糞になって流れていくだけだ。みんなにもいつか退職があるように。バランと食べ物は別れのタイミングが違う。そしてバランが契約職員で食べ物が正職員みたいに、バランの方が関わりが浅くて別れも早いのだ。
バラン。やっぱり好きだ。偽物でもなんでもいい。弁当の中へとりあえず入ってやり過ごせるって立派だ。自分と境遇を重ねたりして言い聞かせる。おもしろくない仕事にはとりあえず目を瞑って雰囲気出しておけばいいのさ。あれ??こんなこと言っていると株式会社折兼からリクルートがこないかもしれない。ということで、撤回!!
やる気ありますよ。僕は食べれるタイプのバランですから。プラスチック製ではあるんですが、アップデートされていて土に帰るタイプなんですよ。
あれ??弁当って「お」をつけた方が大人っぽくていいかな?お弁当?弁当?
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