【エッセイ・もんじゅの智慧】
アロです。
今日で11年目となる東日本大震災。
この日のことを昔、エッセイとして残していた事を思い出しました。
2021年3月時点で日本国内の稼働中の原発は9基だそうです。
廃炉となっても、直ぐに停止できるわけではありません。
停止しているから安心ではないのですよね。
そのような廃炉や停止、点検中の原発が西日本を中心に50基以上あるようで一発、更なる大地震が起きたら本当に日本はどうなるのでしょうか?
大切なこと・・・しっかり考えていきたいと思う今日です。
notoさんでは「原発」「3.11」に関する募集がなかったようでしたのでここに貼っておきます。
つたないエッセイですが読んでいただければ嬉しいです。
【 短編エッセイ・もんじゅの智慧 】
福島原発事故をTVで見るたびに、出版社に勤めていた友人、まり子が興奮して私に話していたことを思い出す。
1995年12月に福井県の原子炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が起きた。
彼女は「もんじゅの廃炉廃止を求める全国集会」に参加していた。
原発は一万年先の地球の未来にまで影響するかもしれないと言っていた。
私は、半分わかったような、わからないような、自分と親密な距離を感じないその話に「ふう~ん」と、ボンヤリと聞いていた。
2011年3月11日、その日私は都内のビルで打ち合わせをしていた。
突然、ゆらゆらと机が揺れ、そのうちおさまるだろうと思っている間もなく室内の書類が目の前を飛び交った。
その場にしゃがみ込んで、必死で机の下に隠れた。
「私死ぬの?今日?」そんな言葉が頭を駆け巡った。
靖国通りの中央分離帯を小走りで歩きながら、バスに何とか乗り込んだが、近くの病院で火災が発生し、新宿駅まで歩かなければいけなくなった。
その時、不気味な真っ黒い雲が私の頭上にボンヤリと浮かんでいたことをいまでもはっきりと覚えている。
電車もバスもタクシーも止まっていた。正真正銘の帰宅難民の一人となった。
新宿駅で段ボールをもらい、駅で一晩泊まることになった。
グラグラっと来た後、ヒュン!ヒュン!ヒュン!と一斉に携帯電話の地震速報音が耳に入り恐怖は更に高まった。
それは、一晩中続いた。身体より心がヘトヘトになった。
あくる日の夜、どうにか帰宅した私はTVを見て愕然とした。
津波で全てが崩壊し沢山の死者、行方不明者が出ていた。
『日本が終わる・・・・・』置き場のないか恐ろしさが、火山のマグマのように爆発した。
そして、福島の原発事故。まり子から聞いていた話がこの時、鮮明に蘇った。
仏教では「文殊菩薩」は智慧、「普賢菩薩」は慈悲を象徴する菩薩で、人類の幸福を願う有難い仏様と聞いていた。
その両菩薩様の名前からとった原子炉の「もんじゅ」と「ふげん」。
命名には永平寺の禅師と関連があったとネットでみた。
『原発に対する私たちの認識が足りなかった。
私たちの責任は重く間違いだった。懺悔することからはじめたい』
寺の関係者はこう語った。無神経で罰当たりな人たち・・・・・・。
しかし、よく考えると自分もまた、以前は原発に対してまったくの無知であり、無関心であった。
そういう意味では反省しなくてはいけない。
私たちは、利便性、経済中心の生活と引き換えに、とんでもないものを手に入れてしまったのかもしれない。
福島原発事故から教えてもらったことを教訓に、智慧を絞り、未来に向かって一歩を踏み出していきたいと強く思った。