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子供に寄り添う教育者の姿

アロです。

誰にでも思い出のある先生はいると思います。最近、2人の先生の事を思い出していましたら、こんな記事を目にしました。

あるべき教育者の姿と今、世間に少しずつ認識されてきたヤングケアラー問題や虐待問題などを考える内容でしたのでご紹介させて頂きました。

ヤングケアラーの子どもは中学2年生で17人に1人いるとも言われています。そして、以下のような問題点を抱えているそうです。

学業に影響する
交友関係が築けない
体力、健康が損なわれる
進路に影響する

行政もなかなか支援まで手が届いていないようなので、学校を中心にしたさまざまな形の支援が必要のようです。ヤングケアラー本人はその自覚もなく、真面目に毎日をこなしています。福祉関係と連携した支援を伝え、実際に連携して負担を軽減する事、周りの人が気付き声をかける小さな事でも大切な支援だと思います。


クレソンさんの投稿より            

①ある小学校で良いクラスをつくろうと一生懸命な先生がいた。
その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、遅刻をしたり、居眠りをしたり、皆が手をあげて発表する中でも、一度も手を上げない少年がいた。

②先生はどうしてもその少年を好きになれず、いつからかその少年を毛嫌いするようになった。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
そこにはこう書いてあった。

③「朗らかで友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来楽しみ」とある。
間違いだ。他の子に違いない。先生はそう思った。
二年生になると 「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。
三年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする」

④三年生の後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」
先生の胸に激しい痛みが走った。
だめと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている。

⑤生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。先生にとって目を開かされた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない? わからないところは教えてあげるから」
少年は初めて笑顔を見せた。

 ⑥それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。
六年生で先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。

⑦「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」
それから六年。またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金ももらって医学部に進学する事ができます」

⑧十年を経てまたカードがきた。 そこには先生と出会えた事への感謝と、父親に叩かれた体験があるから、感謝と痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのまま駄目になってしまう僕を救ってくださった先生を神様のように感じます。医者になった僕にとって最高の先生は五年生のときに担任して下さった先生です」

 
⑨そして一年。 届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母親の席に座ってください」 と一行書き添えられていた。
先生は嬉しくて涙が止まらなかった。