「震災いじめ」に道徳教育の終末を見る
国の「いじめ防止対策協議会」が東日本大震災で被災した生徒に対するいじめの防止に取り組む、という項目を明記したという。
これを「震災いじめ」というらしい。福島原発の事故によって福島市から横浜市に自主避難した中学一年の生徒が「菌」と呼ばれたりしているらしい。これ以外にも震災の影響によって自主避難した生徒が、いじめに遭っているという。
日本社会の道徳心はここまでなくなったのか、と落胆する暗いニュースである。これは子供社会だけの話ではなく、大人の世界でも共通することである。福島原発の事故によって放射能が拡散したとされ、あらゆる風評被害が日本社会を蝕んでいるが、その実態を子供が理解することは非常に難しいといえる。
この「震災いじめ」をする加害生徒は、子供が放射能について完全に理解しているとは思えないことから、「親」の一言で、影響を受けていると予想できる。
子供に対して「あの子は被災地から来たから放射能汚染があるかもしれないからあまり近づかないで」と言ったり、新聞・テレビを見て親の何気ない独り言を、子供が誤った認識を持つことも十分に考えられる。
子供は親を見て育つ。そう考えた場合、子供が自らの意思と認識の下、被災者だからいじめの対象にするという論理に結びつくだろうか。
子供の道徳心の欠如は、大人の道徳心の欠如が原因である。本来ならば弱者を守り、みんなで支えていくのが日本人の心であろう。「震災」という人類の手に負えない出来事を不運にも目の当たりにした被災者を、手を差し伸べて助け合うのが道徳精神なのではないのか。
なぜそれを、親や教員は徹底的に教えられないのだろうか。「教育や授業はしている」ということでは通用しない。徹底的に日本の道徳心を伝えることが今後の日本社会に役立つことをなぜ理解できないのだろうか。
国も「震災いじめ」というセンセーショナルな言葉を取り上げて、国民に提示するのは良いが、「震災いじめ」の定義を定めたにすぎず、教育内容に言及する項目は明記していない。
子供を導くのは大人である。「震災いじめ」を作ってしまったのは子供ではなく大人が作り上げた、今の日本社会の雰囲気であることを自覚すべきである。
(大阪発・Mitsuteru.O)