名無しパスタのブックレポート③


幼いころ、私は図書館に入り浸り、一気に限度数まで絵本を借りて(おそらく30冊くらい)他人に担がせるというものすごい残酷な業務を母親に押し付けていた子どもであった。

そんなわたしが今読んでも泣く絵本がこちら。



アマゾンのレビューには、

ジェインは、お気に入りのピンクの毛布を鳥に持っていかれ悲しみますが、毛布が赤ちゃん鳥の巣になることを知って?

とあるが、もうこれでほぼあらすじすべてをカバーしている。壮大なネタバレレビューだ。これでいいのか…と少し疑問に思うが、まあ絵本だし、対象はあくまでも子どもで、このアマゾンのページを見るのはおそらくその親だから、まあいいか。


私はぬいぐるみとか、それこそ毛布とかを大切に大切に大切にするタイプの人間だ。私が生まれた瞬間から大事にしてる毛布とは今も生活を共にしているし、3歳のクリスマスにプレゼントでもらったくまのぬいぐるみも現在ベッドの上で寝ている。高校生の頃に鞄につけていたスヌーピーのふわふわキーホルダーもシェリーメイちゃんのストラップも、絶対に通学途中で落としたくなかったので、何重にも安全ピンやらキーチェーンやら、追加で金具をつけて頑丈に鞄の取っ手に括り付けていた。

特に、生まれた瞬間から一緒にいる毛布とぬいぐるみたち総勢10人以上は、傍から見たらぼろい雑巾とくたびれた毛玉にしか見えないかもしれないが、私にとっては家族なのである。彼らがいない人生は考えられない。私の汗と涙と血とよだれを物理的に吸収し、辛い時も楽しい時も一緒にいてくれ、私を支えてくれた姉であり、弟であり、家族なのである。


ジェインは生まれた時から一緒にいるピンクの毛布がいる。初めてハイハイした時も初めて立った時もニンジンを食べた時も字を書いた時もずっと一緒にいたのだが、小学校に進学したころその存在を忘れてしまう。ある時偶然思い出すのだが、過去に使い古していたこと、そして自分も成長していたこともあり、最後にその姿を見た時よりもぼろっちくて、小さく見えた。しばらくその毛布は窓際においておくことにしたのだが、鳥にその毛を一本一本抜かれてしまっていたことに気づく。どんどん完成されていく鳥の巣に対して、どんどん小さくなる毛布。最後はジェインは「鳥が家族を作る支えになるのなら、私は毛布はいらない」と言い、毛布の宿命を受け入れるのであった。


あ~~~~~~~~~~~~(号泣)


ジェインは私よりも相当な大人である。おそらくジェインは小学4,5年生の時に毛布に別れを告げているのだろう。自分が大切にしていたものを、全く知らない、しかも人間ではない動物にささげるなんてことは私には到底できないし、その判断はジェインの3倍以上の年齢を重ねた段階でさえ、できないだろう。

そもそも私は毛布とぬいぐるみたちを忘れた期間は、人生において全くない。

そして、誰かに何かをささげる、ということを私はやってこなかった人生を送ってきた。確実に存在する物体であっても見えない感情や精神であっても、よその人間に私が手放した何かを渡すことって、私にとってはなかなか難しい。全く思い入れの無い消しゴムとか輪ゴムとかならもちろんどうぞあげますわよと言えるが、「ささげる」となると、少なくとも自分が大切にしていたり必死になっているものを献上するのだから、圧倒的な覚悟が必要だろう。


何が言いたいかというと、私には覚悟が足りないのである。

それでは。


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