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⚖ 6年+本人訴訟 【1】~はじめに

「人生50年。もし,その先があるなら,福祉でセカンドキャリアだ」
と思いながら生きていた―――。
 「50歳」を超え,「介護福祉士として,田舎で,高齢者介護に就きたい」と願い,卒業と同時に介護福祉士国家資格が取得可能な,ある専門学校に(東京都の職業訓練事業の委託訓練生として)入ったら―――
アカハラ(:アカデミック・ハラスメント)に遭い,1年後,「除籍」で退校となる。

平成30年3月8日午後,副校長から,この除籍通告を受けた。
「今日の明日」で退校を迫られ,パニック⇒心神耗弱状態に陥った。

「なぜ」「どうして」の答えが見つからず,精神を病み,自死を望むほどのドン底で浮かんだのは・・・
アオハル時,流浪のサバイバルを支えてくれた,多数の人々―。

「このままでは,死にきれない」と思い留まり,法律相談等を重ねるうち,「学校はおかしい」と確信。
以後,令和6年8月現在まで,6年以上,たたかい続けている。
 
しかし,担当裁判官は,公正中立な審理とは思えない訴訟指揮を続けた末に棄却判決しているため,現在もなお,全容解明には至っていない。

上記の「除籍で退校」の処遇(←履修規定違反だったことが裁判で判明)はもとより,「校内相談対応」での学校側及び東京都の違法についても,裁判官らは,こぞって盲目であるかのように異常な判決に終始している。 
(だからこそ,私は老骨にムチを打ち続けている。)

なお,最初から本人訴訟に挑んだのではなく,当初,10人近い弁護士にあったが,前向きな反応がゼロだったことから,やむなくである。

 【調停】 平成30年7月,千葉市にある学校法人を相手に民事調停を提起
対応も除籍処分も,適切。訴えるなら訴えろ」
(理事長代理となった副校長)
            
 【訴訟1】令和元年6月,学校長の監督責任等を訴える
「全く関知しない出来事」(:「知らなかった」)(校長答弁)
1年後―――「(確認したら)除籍ではなく自主的退校で処理されていた」 
     
 「専修学校の校長には,校務上の責任は問われない              
2年後(校長死去後)副校長は,相談対応上の「ウソ八百」を(自白)陳述
            ↓
 【訴訟2】令和3年10月,訴訟Aと平行し,学校法人と副校長を訴える
            ↓

 【訴訟1】は第二審(控訴審),【訴訟2】は第三審(上告審)までたたかう
            
 令和5年,【訴訟1】【訴訟2】とも,極めて不合理な事実認定や判決理由を受けたまま,完全敗訴(棄却)の判決確定。
            
 令和5年2月,【訴訟1】の第一審,19回目の弁論準備手続(争点整理の期日)の末,被告側が断言した,「東京都の指示に従っただけ」との主張を受け(詳細は後述)
            ↓
【訴訟3】令和5年3月,東京都を訴える
            
令和6年7月,第一審(計5回の口頭弁論期日)で,またまた信じがたい不合理な事実認定を受けて完全敗訴
            
令和6年7月31日,東京高裁へ控訴

資格もカネも,もはや将来性もないおばさんなんか,まともに相手にする価値なし
と言わんばかりの,裁判官や裁判所の対応実態を,本ブログで共有します。

ただし,以下のように,前半,元々の事件について,要点を挙げます。

  第1部 【元の事件:専門学校でのアカハラと校内相談対応】
  第2部 【第1部について,学校側主張と裁判判決】
  第3部 【【訴訟1】【訴訟2】結果により係争中の【訴訟3】】

「裁判なんて」という方が大半だと思います。
私自身,6年前まで,「裁判」とは完全に無縁でした。

でも,誰もが,いつ,何時,裁判という山にぶち当たるかわかりません。
その可能性に備えての「盾」の一片,あるいは本人訴訟で奮闘中のみなさまの参考になれたならと思います。
 
何よりも,「より生きやすい日本にしたい」からこその叫びです◆
(※画像は,裁判で提出した,100点を超える証拠 ←裁判官はほぼ無視)


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