⚖ 6年+本人訴訟 【16】~被告が引用の「東京都と交わした多数のメール」を求める,文書提出命令申立(その2)
令和4年1月,森剛裁判官は,「次回期日は,追って連絡します」と告げ,第10回弁論準備手続期日は閉じました。
同年4月1日,【訴訟1】の(二代目)担当書記官より,電話がありました。
「文書提出命令申立(1)の文書所持者に連絡したところ,文書の所在を確認するので,ひと月ほど待ってほしいと回答がありました。」
この連絡は,耳を疑うような吉報でした。
2年近く前,被告が陳述した,令和2年7月25日付の準備書面(3)に引用されていた,学校側と東京都とで交わしたメールの開示を求める,文書提出命令申立(1)ですが,その所持者の特定等をめぐり,難航していたからです。
【訴訟1】で,私は,文書提出命令申立を,計3件行っていたのですが,裁判官は,(1)以外は,既に却下していました。
(1)は,「是が非でも」と切願していただけに,「訂正申立」を重ね,「本件の審理に必要な文書」として求め続けていたのです。
「被告は破綻」に続く,吉報に,私は,こみ上げる感情を抑えきれず,涙していました。声が出ないまま,膝から崩れ落ち,畳の上に膝まづいて,首を垂れていました。
数秒後,かろうじて,「ありがとうございます…」と吐き出した声は,感情をかくし切れず,涙声でかすれてしまいました。私は,心深くから,感謝の念でいっぱいでした。
さらに,書記官は,以下を続けました。
「森剛裁判官は異動となり,別の裁判官が担当となりますので,次回期日については,また改めて連絡します」
私は,その時,裁判官の交代について,「いい」とも「悪い」とも,思っていませんでした。新たな担当裁判官が,それまでの陳述結果を誠実に尊重したならば,「被告は破綻」と述べた森裁判官の評価と,大きく異なる判断にはならないはず,と想定したからです。
実際,次回期日は,同年6月13日となりました。
そして,同期日までに,文書提出命令申立(1)の「メール文書」をめぐり,以下のように,改めて副校長の,支離滅裂さが判明しました。
以上のように,学校側,というより副校長(令和3年度より校長)は,私が退校した直後,事件当時に東京都と交わしていたメール文書を「消去していた」と回答したのです。
では,副校長は,どうやって,自身の陳述書で述べている(↓画像),
「訴訟の提起を受けてメールを確認」できたのでしょう?
以上のように,副校長は,矛盾した,不合理な抗弁を重ねた挙句,東京都と交わしたメールを,提示しませんでした◆