【胸の痛くなる話】母と私とDCshoesのウインドブレーカー
14年経った今でも、思い出すとズキズキと胸が痛む出来事がある。
それは【母親に買ってもらったばかりの服をカフェで置き引き被害に遭った】という事件だ。
春が来る度に思い出してしまう、悲しい想いをただただ、ここで吐き出したい。
あれは2007年の3月か4月の春。桜が綺麗に咲いている時期だった。
場所は東京都多摩市の聖蹟桜ヶ丘駅の京王百貨店2Fのカフェだった。
改札を降りて、入口をくぐって、正面にあるエスカレーターを上ったら背中側にあるカフェだ。
もう14年も経っているから、お店は変わっているのかもしれない。
経緯を書き出す前に、まずは当時の事を書きたいと思う。
私が中学1年生の頃に、両親が離婚をした。
父が家を出て行ってから、母は2つか3つ仕事を掛け持ちをして、朝から晩まで働いていた。
晩御飯はテーブルに置かれた500円。
「これで食べられる物を食べてね」というものだった。
不満はなかった。近所には500円あれば、好きな物を買えるお弁当屋さんもラーメン屋さんもあったし、コンビニだって家の目の前だった。
晩御飯を我慢すれば毎日500円を貯金する事だって出来た。
昼は中学校で給食食べてたしね。
両親の離婚なんて、別に珍しい事でも無かったので、特に友達に何か言われた覚えもない。
まあ、母から離婚をすると聞いた時は、泣いて泣いて泣きまくったけど。
その時、母も「ごめんね、ごめんね」と私に謝りながら泣いていた。
親の涙も、親の謝罪も、この時に初めて目にした。
涙が枯れた時にはもう深夜だった。
そのまま部屋に戻って、一人で眠れるメンタルでは無かった。
母の運転で海へと行った。
結局、真っ暗で海は見えなかったが、波の音が聞こえた。後部座席で寝転ぶと空には星が綺麗に瞬いていた。この光景は忘れられない。
そして私達は「せめて、今まで以上に笑って暮らそう」と約束をした。それから一度も泣いていない。
暗い話のようだが、そうでも無い。
お金は無かったが、約束通り、私達は楽しく暮らした。
欲しいものは我慢したけど。
本当に欲しいものは500円貯金で買えましたし。
そして、あっという間に中学時代は過ぎて行った。
高校は推薦合格する事が出来た。
……。
そして、事件当日。
2007年の春。
高校の入学説明会に母と参加した。
帰りに聖蹟桜ヶ丘駅に寄り道をした。
聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターB館5F
当時、我々中学生、高校生の間では憧れの存在であった「ムラサキスポーツ」に行った。
靴とか服とか時計とか、素敵なものがたくさんあった。
しかし私は母に「欲しい」とは言えなかった。
子供ながらに「買ってあげられない」って気持ちにさせたら悪いと思って「まあ別に欲しいもん無いかな」なんて言ってた。
でも、本当はあった。
本当は欲しいものがあった。
それがこれだった。
DC shoesのウインドブレーカー
リバーシブル
【引用元 メルカリ】
「欲しくは無いけど、ちょっと着てみようかな」
と言って、試着をしてみた。
鏡なんて見なきゃ良かった。
…こんなに欲しくなるなんて。
母が言った。
「似合うね」
私は嬉しくなった。
でも、次の瞬間に値札を思い出した。
1万円を超えるウインドブレーカー。
「欲しい」なんて言えなかった。
私は母に「そうかな?別にそうでもないわ。」と言って、ウインドブレーカーを脱いで、ハンガーに掛けた。
私はそれを売り場に戻した。
しかし、母がすぐにそれを手に取った。
「え?」と思ったが、母は足早にレジに行き、会計をした。
値段を見た母は笑いながら「結構、するんだね!」と冗談を言っていた。
ウインドブレーカーの入ったムラサキスポーツの袋を母が私に手渡した。
「入学祝いだからね」と言いながら。
私は喜びよりも、驚きに包まれたまま、何も言えなかった。
ムラサキスポーツの袋を持って、店内を歩くだけで私は嬉しくなった。
綺麗に磨かれたお店のショーウィンドウに映った、ムラサキスポーツの袋を持っている自分の姿に顔はニヤつく。
しかも、このムラサキスポーツの袋の中には「DC shoesのウインドブレーカー」が入っているのだ。
母も色んな店で商品を見ていたが、何も買わなかった。
歩き疲れた私達は聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンター2Fにあるカフェに着いた。
人影はまばら。
私はソファに座り、ムラサキスポーツの袋を隣に置いた。
母は正面に座った。
私達はアイスコーヒーを飲んだ。
高校の話をしたり、中学の友達の話をしたり、くだらない話をたくさんした。
母親と出掛けたのは、いつ振りだろうか。
母親とこんなに話したのは、いつぶりだろうか。
母親とカフェコーヒーを飲みながら喋るのは、何だか照れ臭かった。
そして、私達は席を立った。
お店を出て、エスカレーターを降りて、駅の改札口に着いて切符を買った。
そして母が私を見て言った。
「あんた、服はどうしたの?」
私の手にはムラサキスポーツの袋が無かった。
「……あ!」
私は母を置いて、走った。
今来た道を走って戻った。
エスカレーターを駆け上がった。
カフェに入り、私が座っていたソファを見る。
そこにはムラサキスポーツの袋は無かった。
頭が真っ白になった。
「…あれ?ここに置いたはず…落ちてるのかな?」
他のお客さんの目なんか気にせずに床に手を着き、あたりをキョロキョロした。
しかし、ムラサキスポーツの袋は無かった。
不審な目で、私を見ている若い女性店員の元へと走り、言った。
「あの、今まで、ここでコーヒー飲んでたんです。それで、あそこのソファの席に座ってたんです。あの、そこに、ムラサキスポーツの袋ありませんでした?忘れ物届いてませんか?」
と焦った口調で伝えた。
しかし、店員は冷静且つ、不審者を見るような目で答えた。
「いえ。ありませんでした。掃除もしましたが、忘れ物はありませんでした。」
私は記憶を辿った。
ムラサキスポーツを出た直後…ムラサキスポーツの袋は…持ってる。
母の化粧品のお店では…持ってる。
入浴剤を見たお店では…持ってる。
このカフェでアイスコーヒーを注文した時…持ってる。ムラサキスポーツの袋を、間違いなく私は持ってる。
そして、ソファに置いた。
私は絶望した。
ウインドブレーカーもムラサキスポーツの袋も勝手に消えて無くなるわけがない。
それは分かってる。
だけど、ワケが分からなかった。
お店を出てから10分も経っていないのに…。
頭が真っ白だった。
そして、なかなか戻ってこない私を追って、母がカフェにやってきた。
絶望している私に母は問う。
「服…どうしたの?」
私は母の顔を見ないで答えた。
「……無い。店員さんにも聞いたけど、無いって…。」
私は床を見つめる。
私と母の間には無言の時間が流れた。
無言はしばらく続いた。
そして私は母の顔を見た。
母は私を見ていた。
きっと、私が床を見つめている間も、母は私を見ていたのだろう。
母の目は赤く充血していた。
当時、それが怒りなのか、悲しみなのか分からなかったが、この時の母の表情が忘れられない。
そして、私達は無言のまま歩き始めた。
さっきはルンルンで歩いた道をトボトボ歩いた。
エスカレーターを降りて、すぐにある総合カウンターか何かに事情を説明して、もしあったら連絡ください。って名前と電話番号を書いた。
もちろんその後、連絡は無かった。
警察に被害届を出すなんて選択肢すら浮かばないまま、私達はさっき買った切符を改札に通して電車に乗った。
ずーと無言だった。
「買ってくれて、ありがとう」
って伝える前にDC shoesの服は無くなった。
事実を受け入れられずに「失くしてしまって、ごめんね」と伝える事すら出来なかった。
家に着いて、やっと母は口を開いた。
「夜は何食べたい?」
私は答えた。
「今日は仕事休みなの?」
母「そうだよ。今日は一日、休みを取ったんだよ。」
私は母に「そうなんだ、でも、今日は食欲無いからいらない。…友達に誘われてるから、ちょっと出掛けるわ」と言って家を飛び出した。
友達に誘われてなんかいないから、公園で一人で過ごした。
自分が嫌になった。
…身体が重い…頭が痛い…。
結局、母に合わせる顔が無くて、深夜まで公園にいた。
そーっと家に帰り、そーっと母の部屋の前を通り、自分の部屋へ入ろうとした時、母の声が聞こえた。
「おやすみ」と言われた。
母は明日も朝から仕事なのに、起きていた。
私は「おやすみ」と答えて、部屋へと戻った。
ウインドブレーカーの話は一切しなかった。
14年間、一度も、母とウインドブレーカーの話はしなかった。
もちろん、忘れているはずはない。
14年もの間、春が来る度に思い出す。
……書いていても胸が締め付けられる。
この場を借りて、母に伝えたい。
「ウインドブレーカーを買ってくれて、ありがとう。」
「試着でしか着てないウインドブレーカーを、その日に失くして、ごめんなさい。」
あの日、あの時、私のムラサキスポーツの袋に入ったウインドブレーカーに何があったんだ。
その袋にはウインドブレーカーの他にも、母の想いが詰まってるんだよ…。