昔々、赤いずきんを捨てた少女は
誰にも見つけられずにひっそりと生きているひとの絶望を、ランプの温かい光で照らしたい、という思いがある。
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今朝のこと、とりとめもなく童話『赤ずきん』の結末、そしてその後について思いを巡らせていた。
数年後、成長した赤ずきんは、自分とおばあちゃんとの命と引き替えに殺された狼のことをどう思うだろう。そして、もし殺された狼に家族がいたとしたら、彼らはその後どんな風に生きたのだろう。
『赤ずきん』の数年後、成長した赤ずきんと殺された狼の息子が出会う、物語を想像していた。
このテーマはかなり個人差が出そう。狼による血みどろの復讐劇を想像するひとも、種族を越えた恋物語を想像するひともいるだろう。
私が想像する赤ずきんと狼は、泣きたくなるほど優しい心の持ち主だ。
父を失わせるくらいなら私はあのとき救われるべきではなかったのでは、と考える娘。
父と引き替えにしても、何も非のない幼い命が救われるべきだったのだ、と考える狼。
一度は狼という種族に殺されかけた記憶を持つ娘。
恋をしたとはいえ人間はあくまで食物である、狼。
互いの優しさに惹かれあったとして、ふたりは結ばれるのだろうか。
むむむ、と考えたところで、
先日描いた絵が閃光のように脳裏によみがえった。
https://note.com/januarypm1730/n/nc92fc50802d9
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衝動的に描いたものが、数日、数ヶ月後になって「あれは自分のこういう気持ちから生まれたものだったんだ」とやっと理解できる、ということがよくあった。
他人を気にしすぎて自分の気持ちをかなり蔑ろにして生きてきたせいか、子供の頃からずっと自分のことだけが分からなくて、見えなくて、苦しんでいた。
絵はいつも自分の衝動から生まれる。それを解釈することは、不可解な自分のことを理解する一歩でもあった。
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誰にも見つけられずにひっそりと生きているひとの絶望を、ランプの温かい光で照らしたい、と思う。
私のちいさな絶望を、誰かがひたかくしにしている絶望を、少しでも救えたらどんなに幸せだろう。
そういうふうに絵を描き続けていきたい、と思っている。
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「あなたの姿や過去なんて関係ない。食べられてもいい。私はあなたを愛している」
「そう言って狼を抱きしめられる、強く優しい心の持ち主こそが、きっとおとぎの国の主人公にふさわしいのだろう」
――昔々、
狼の恋を退けた心の醜い町娘は、今日も、花畑の真ん中に立ち尽くして泣いていた。
つい、終わることも始まることもない物語ばかりを想像してしまいます。だから、一枚絵を描くのが好きで、小説や漫画を描くのが苦手なんだろうな。