家政婦さんクレカ ショートショート小説5
「タナカさん、カレーが出来ました」
機械的な女性の声がタナカの耳に入ると、タナカはうずくまりながら声をこぼした。
「置いといて」
タナカは寝たきり、声の主を見ようともしない。声の主は、機械的でありながらも美しく施された顔を、無表情に、ジッと、タナカに向ける。
「カレーが冷めてしまいます」
声の主が音を紡ぐと、タナカは身体をのっそりと上げ、声の主に向けて言った。
「ごめん、ありがとう。……また頼むよ」
すると声の主は無表情を崩さずに、タナカに向けてお辞儀をした。
「失礼します」
機械的な音声と、生身の女性の身体と見間違う機体の不釣り合いが、タナカを苦笑させた。女性的な見た目を持った機械……サクラ1号が部屋を出ると、タナカのスマートフォンが鳴る。
家政婦クレカ引き落とし予定日、○月○日 またのご利用をお待ちしています。
その文言を見ると、タナカは苦笑する気にもなれなくなった。
数日後、タナカは再度サクラ1号をレンタルした。この国の保証により、経済的に困窮している人間は、家政婦ロボを最低限の費用でレンタルできる。
タナカは自分で働く気にもなれなかった。だが、外部との接触は欲しかったので、ロボットを雇って家事をしてもらっている。
サクラ1号は、メイド服に身を包み、ショートカットの髪にサクランボのような香りを漂わせて、玄関に入る。無表情な部分まではプログラムが追いついていないので、タナカはサクラ1号を見て失笑する。
サクラ1号は言った。
「何か、おかしいのですか、タナカさん」
タナカは皮肉交じりに言う。
「よく出来たプログラムだな、と思っていたんだよ」
するとサクラ1号は喉元から音を出す。
「それは、よかったです。私は、タナカさんの笑顔を初めて見ました」
笑顔。
言われると、タナカは頭をかいた。本当によく出来たプログラムだ。
「今日は掃除をしておいて」
タナカのぶしつけな命令に、サクラ1号は従う。そして意思を持ったように、部屋の隅からほうきを取り出し、足下の穴に空気を入れ、ほこりを吸い取っていく。
サクランボの香りが、つんと鼻をついた。
「本当によく出来たプログラムだ……」
タナカは頭から毛布を被った。サクラ1号からゴミと間違われて毛布を取り上げられる。前言撤回、プログラムミスだ。
掃除が終わると、サクラ1号は布団に寝転んだタナカを見下ろした。
「今日の、お料理はどうしますか」
するとタナカは声を絞り上げて、かろうじて答える。
「……いらない」
サクラ1号は表情を変えずに続ける。
「お料理を食べないと、健康を害します。健康を害することは、私のプログラムの範囲にはありません」
音を聞くと、タナカは言った。
「延長料って必要?」
サクラ1号は答える。
「いいえ、この後、私には利用者がいません。他の利用者の時間を阻害しての、強制的な延長でなければ、最低金額の範囲に収まっています」
するとタナカは声音を平坦に保って言った。
「このまま側にいて欲しい」
サクラ1号は、しばらく無音だったが、処理を終えると声を出した。
「お料理を、お作りします」
そう言って、サクラ1号は台所に向かった。タナカにとって、その言葉と行為をプログラムとして捉えることは出来なかった。
出された食事はカレーだった。タナカは少しだけ軽くなった身体を上げて、無言でカレーをつつく。その様子をサクラ1号は黙って見ている。タナカはばつが悪かった。
「帰っていいよ」
タナカが言うと、サクラ1号は音を出した。
「帰りません。私はタナカさんによって側にいて欲しいとの指示を受けました。指示を守るようにプログラムされているからです」
タナカは返答する。
「料理は指示にはないはずだ」
サクラ1号は音を返す。
「私のプログラムは、タナカさんをはじめとした利用者の健康管理・身の回りのお世話であります。不測の事態に備えて、プログラムの選択肢は多く存在しています」
タナカは苦笑する。それからカレーのルーを一口、二口と含んでいく。かつて、母親に食べさせられたカレーの味。タナカは何も言えなかった。
サクラ1号は声を出した。
「タナカさんは、私のことはお嫌いですか」
不意を突かれて、タナカは戸惑った。少し考えて、言った。
「わからない」
それから数秒間、二人の間を無が覆った。タナカは無の時間が、一瞬にも永遠にも感じられて、自分が苦痛とも至福とれない微妙な時間の中に存在していると思った。
「私も」
サクラ1号が音を出す。
「私も、タナカさんがわかりません。けれど、プログラムを更新し、新たなタナカさんの仕草・言動・表情・主張から学習していきます」
それを聞くと、タナカは数日前の自身の言葉を思い出した。どうして数日前にカレーを頼んだのか。それはタナカの幼い日の原風景にある、母のカレーを頬張った、あの時間を思い出したからこそ、サクラ1号に頼んだのだ。
「そうか」
タナカは窓から差し掛かる夕陽を眺めて言った。昔、母親と何度も同じ風景を過ごした。そこにはいつもカレーがあった。
「ありがとう」
タナカは言った。サクラは「どういたしまして」と声を出した。
サクラ1号が玄関を出ようと靴を履く。それと同時に、タナカのスマートオフォンが鳴る。
ご利用ありがとうございます。次回の引き落とし日は○月○日です。
タナカは口角を微かに緩めた。サクラ1号は声を出す。その声はいつもと変わらない機械の音。なのに、どうして自分は感情的に捉えてしまうのかと、タナカは不思議に思う。
「また、来ます」
タナカはスマートフォンから目を背けた後、自分のことを新たに知った機械の家政婦さんに向けて、声音を上げていった。
「また、何かあったら頼むから」
タナカの言葉にサクラ1号は間をあけてお辞儀をした。
サクラ1号の口元が、微かに緩んだ。それは彼女のプログラムなのか、自分がそう見えただけなのか、考えるだけ野暮だと思い、タナカは布団に戻って腰をかけて、明日に備えるのだった。
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