ムーンライト・シャドウ 「偶然」と「繰り返し」
ポップコーンなんて買わなければよかった。
昼ごはんを食べていれば夕暮れ時の映画館でお腹がすくこともなかったのに。。
そう。
他のお客さんを気にして、1粒も手に取らず帰宅する羽目になってしまった。
それくらい静かな、小説をそのまま映像化したような作品だった。
映画館に小説を読みに行く意識ならもっと感覚を研いで想像を膨らませることができたのかもしれない。
でも私が観に行ったのは紛れもなく映画であって小説ではなかった、、と思う。
映像と音に頼って感情を動かしてもらおうとすると、少しだけ物足りなさを感じる作品だった。
※ここからはネタバレ含みます
1つのテーマとして私が感じ取ったのは、「偶然」。
物語の主を占める「月影現象」は満月の夜に死者と会える不思議な出来事で、そこにはいろいろな偶然が重なる必要があるという(詳しくは忘れた)
さつきと等は橋の下を流れる川のほとりで偶然出会い、その2人が最後に顔を合わせたのは偶然にも同じ橋の上。
月影現象の案内人にさつきと柊が出会ったのは、偶然にも等に川のことを教えたおじいちゃんの元。
作中の等の言葉で「何かのきっかけでずれることがあれば、何かのきっかけでかみ合うこともある」みたいなセリフがあった。
その「何か」=「偶然」なんだろうけど、じゃあ偶然ってなんだ?
個人的には「まぐれの偶然」と「意味のある偶然」が存在すると思う。
例えば今日私がポップコーンを買ったのは仕事のある金曜日に映画が公開され、仕事が忙しくて昼ご飯を食べ損ねてお腹がすいていた「意味のある偶然」。
ガラガラの劇場で今日隣に人がいたのも、自分とその人がどちらも中央寄りの席で作品を観たいと思ったであろう「意味のある偶然」な気がする。
もしも明日宝くじが当たれば、それはおそらく「まぐれの偶然」。
案外世の中に起こる「偶然」は脈絡があり、ある意味必然的な偶然っていうものも多いんじゃないかと感じた。
「何かのきっかけでずれることがあれば、何かのきっかけでかみ合うこともある」
その「何か」が「意味のある偶然」を含むのなら
人生の出来事はどこかで繋がり、人や物事に対する巡り合わせがきっとあるのだと思う。
喜びや優しさは巡り巡ってほしいし、人の出会いもまた意味があってほしい。
「川」も印象的だった。
「人には川が流れている」という言葉。
自分に流れている川は何だろうと思いながら小松菜奈はかわいい、なんて考えていたからきっと大した川は私の中には流れていない。
川と言えば三途の川もか。
月影現象で現れたゆみこは川の反対側に立っていた。
柊がもし川を渡ったらあの世に引きずり込まれるのではないかと思ったが、きっと見当違いな推測だった。
にしても意味合いが違うとはいえ川が強調されていたのは「死」との連想かもしれない。
オチはきっと「繰り返し」
人生はきっと同じことの繰り返しなんだろうと感じさせられた。
風邪をひいたさつきに対して謎の女の人は「辛さは限界を超えることはなく、次第に痛みは引いていく。今が一番辛いんだよ」という意味合いの言葉を吐いていた。
聞こえはいいが、生きていれば何回だって風邪くらいは引く。
精神的ダメージの比喩として風邪という表現をしたなら、限界を超えることはなくとも生きていれば、「今が一番辛いな」って思いを抱えることも繰り返しあるのだろうなと考えてしまった。
実際に最後のシーンもさつきは「前に進むよ」といっていたけど、等を失った苦しみから立ち去るのであれば、次の苦しみを感じるステージが来るのかもしれない。
まあでも、考え方次第なんだよね。
この作品ではネガティブな心情ばかりが描写されていたから考えも暗くはなるが、私は人生って良いなと思う。
YOASOBIの『もう少しだけ』。
「あなたから私へと想いが伝わる そう僕から君にほら喜びが広がる ありふれた毎日から踏み出した優しさが今 誰かに届いてきっと めぐり続けるんだきっと」
仮に同じことの繰り返しでも、喜びや優しさを巡らせて少しずつでも明るい日にしていければいいなって。
そう思いながら毎日を過ごしていきたい。
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