敢えてプロデューサーに自己投影しないという選択肢を与えてくれるゲーム、シャニマス
注意 この記事は根拠の薄い推量・断定、非シャニマスプレイヤーには不快に思われるかもしれない表現を含みます
1.美少女系ゲームの主人公に求められる要素
映画であれ、ゲームであれ、特にストーリーに重点をおいたコンテンツは没入感を重視されがちです。
そして、そのためかシャニマスのようなノベルゲーム寄りのゲームでは必ずと言ってよいほど自己投影の対象となるキャラクターが登場します。
というか、最近の所謂美少女系ゲームはほとんどそうです。
私が知っている限りだと、このタイプのゲームは大抵その自己投影の対象のキャラクターは何らかの役職に就いていることが多く、たとえばそれはアイマスシリーズであればもちろんプロデューサーで、ウマ娘であればトレーナで、ブルーアーカイブでは先生です。
真実は定かではありませんが、ソシャゲであれば設定しないわけにはいかないユーザー名と、キャラクターが呼ばないわけにはいかない被自己投影者の名前の競合を避けるためなのでしょう。
つまり、普通は人に呼び掛けるときは名前を呼びますが、ソシャゲでプレイヤーが設定した名前を呼ぶことはできず、かといって何もなしに会話が始まるのは変なので、日本語の裏技と言うべきか、人を役職の名前を呼ぶのは普通のことなので、プレイヤーが設定した名前に関係なく呼ぶことができる役職を設定したのではないか、ということです。
「物語の世界に没入する」という表現はやや曖昧で、実際は物語に登場するキャラクターに感情移入することを指す場合が多いでしょう。(おそらく)
極端な話、全くキャラクターに感情移入できていなければ、物語中でキャラクターが死んでも、それを看取る他のキャラクターが泣いていても何も感じないというわけです。
特にソシャゲの美少女系ゲームの場合、主人公の視点で主人公と美少女が会話するという形式がとられているものが多く、開発者の意図としてはその美少女との交流を楽しんでもらいたいということらしく、そのためには主人公は確実に自己投影できる対象でなくてはならないため、平凡であること、人間性にブランクを含むことが求められ、それによってプレイヤーがその主人公に憑依するかのように感情移入できるわけです。
つまり、その主人公は、いわば「依り代」であることが求められるということです。
2.シャニPの人間性
アイドルマスターシャイニーカラーズ、通称シャニマスにおける主人公?はプロデューサーで、シャニPと呼ばれますね。
散々言われてきたことですが、シャニPは感情移入の対象、「依り代」にしては人間性に溢れ過ぎています。
どう考えてもイケメンだし、高身長だし、よく喋るし、口癖もあるし、有能で仕事ができるし、たまに奇行に走るし、その人間性に空白など全く見当たりません。
しかし、シャニマスは確かに面白いです。
そうでない人もいるでしょうが、多くの人はシャニPを「依り代」でなく一人のキャラクターとして認め、その上でシャニマスを楽しんでいることでしょう。
どうしてそんなことができるのでしょうか。
それは登場人物全員があまりにも人間らしいからではないでしょうか。
だから、この記事のタイトルは正確には
「敢えてプロデューサーに(だけには)自己投影しないという選択肢を与えてくれるゲーム、シャニマス」となります。
(上の「だけ~しない」は限定を否定する形でプロデューサー含め全員に自己投影するという意味で、プロデューサーにだけはしないが、他全員には自己投影するという意味ではありません)
つまり、人間性が空っぽのキャラクターに自己投影するという憑依型の感情移入でなく、人間性が自分に似ているから感情移入するという共感型の感情移入をしやすいのではないか、ということです。
もちろん、シャニマスに登場するアイドル全員が完全に現実的かというとそうではなく、髪の色が紫色の人も、普段着が和服の人も、餌を持ってなくても寄ってくる都合のいいハトも、コロッケに醤油をかける人も現実には存在しません。
しかし、それはあくまでも表面的なキャラクター性でしかなく、自分の言葉で相手が傷ついてしまったのではないかと悩んだり、接する人によって態度を変たり、自分が周りと違うことを心の中では気にしていたり、気にせず堂々としていたり、そのキャラクター性の奥に現実的な人間らしさがあります。
その時々によって、仕事に追われるプロデューサーにも、努力するアイドルにも感情移入することができます。
これは人間性に溢れる魅力的なキャラクターを作って来たシャニマスだからできたことなのでしょう。
とすると、25人という比較的少なめな現在のアイドルの人数はクオリティ重視ということなのでしょうか。
つまり、別にキャラクターが人間らしくなくてもそれはそれで面白く、特別自己投影の対象となるように配慮されたキャラクターがいなくても全く感情移入できないということは全くないのですが、どうしても私はシャニマスの繊細な心情の描写、それによる感情移入のしやすさを特別視してしまいます。
3.自己投影してもいいし、しなくてもいい
結局大事なのは、自分がどうしたいかです。
自分はプロデューサーだと思って真っすぐアイドルと向き合っても、第三者視点でプロデューサーとアイドルの関係性の変化や成長に注目しても、自分と似た性格のアイドルに共感しても、シャニマスは面白いです。
長いイベントコミュを好きなスタイルで見ていると、大抵は物語のクライマックスで選択肢が現れます———しかし、それは一択。
定義的に、選択肢と呼んでいいかわかりませんが、確かにそれは選択肢で、プレイヤーはそれを押さなければいけません。
よって、それまではどれだけ受動的にコミュを楽しんでいた人でも、その選択肢を押す瞬間だけは能動的でなくてはならないのです。
これは公式からの、「あなたは物語の一端を担う存在ですよ」というメッセージなのではないでしょうか。
だから、どれだけ傍観者に徹していても、その選択肢が出た時、その時だけはプロデューサーになってもいいんじゃないでしょうか。
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