アンチしてたら惚れた話

※この文章には一部フェイクが含まれています。なお「彼」の正体がわかっても、そっとして頂くようお願いします。


こんにちは。歴史上の人物を推している人です。
私の推しはとっくの昔にお亡くなりになった方です。

私は以前、彼がどうしても許せなくてアンチをしていました。しかし、アンチとして活動するうちに、次第に彼に惹かれていきました。

今回は、アンチ活動を通して拗らせていった過程を書いてみたいと思います。ダラダラと長いですがご容赦下さい。

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まず、前提を説明しましょう。

私は彼を憎んでいました。というよりも、彼のやった事が許せなかったのです。それは私の信仰(のようなもの)を否定するような行為でした。彼のやった事を思うと、心の土台がぐらぐらと揺れるのを感じました。私はとにかく、彼を痛めつけてやりたいと思いました。

しかし、彼はもう死んでいます。物理的に攻撃することは不可能です。ならどうすれば彼を痛めつけられるのだろう?

そう考えた時に「最高に傷付く言葉を言ってやろう!」と思い付きました。もう死んでいるので面と向かって言い放つ事は不可能ですが、ほら、言葉ぐらいなら、念じればあの世に届きそうな気がしませんか?(謎の死生観)

斯くして私の「彼が最高に傷付く言葉」探しの旅が始まったのでした。

心を抉る言葉を探して

悪口というのは色々あります。簡単な所で言えば「ばか」「しね」「クソ」でしょうか。汎用性が高く、どんな状況でも使える悪口です。
しかし、こんなありきたりな言葉では、私の憎しみは収まりません。もっと深い所、心の芯をピンポイントで抉るようなオリジナリティある言葉がいい。そう思った私はまず、彼の伝記を数冊読んでみることにしました。彼の生育歴が分かれば、彼の急所も分かるのではないか、と目論んだのです。

色んな人が書いた彼の伝記を読んでみて、第一に思った事は「もっと勉強が必要だ」という事でした。

伝記をざっと読む限り、彼は仕事に人生を捧げた人だと思いました。彼はどうやら、自分に与えられた仕事に最期まで執着していたようでした。彼はきっと、この仕事に誇りを持っていたのでしょう。また、この仕事こそが自分の存在意義だと固く信じていたのでしょう。彼の仕事を否定すれば、彼の心の根っこを傷付ける事ができるかも知れません。

しかし、私は彼の仕事について表面的な事しか知りませんでした。彼を本当に深く傷付ける為には、彼の仕事の根本的な所、いわゆる理念とか理想とかを否定しなければなりません。そこで私は、彼の仕事についてもっと勉強しようと思いました。


彼の仕事を否定するために

私は、彼の仕事について解説した本を読んで勉強することにしました。彼がやっていた仕事は賛否両論あるタイプのもので、その仕事に肯定的な人も否定的な人もいます。私はアンチなので、最初は否定的な立場の人が書いた本ばかり読んでいました。

しかし、それだけでは限界を感じました。否定的な人の本だけでは、その仕事をやっていた当事者の感情がよく分かりません。彼はあんなに熱心に仕事をしていたのですから、彼なりの正義感や理想があったのでしょう。そうでなければ、あんな風にがむしゃらに働けません、きっと。

私は、彼の仕事における理念や理想を探す為に、その仕事に肯定的な立場の人の本も読みました。肯定的な人はきっと、彼の仕事に何か理想を見出していると思ったのです。私はアンチなので、肯定的な人の本を読んでいてイラつく事もありましたが、頑張って読みました。全ては、とっくの昔に死んだ彼の心をグサリとやる為です。(死者に対して気持ち悪い執念ですね)

彼がどんな気持ちで仕事をやっていたか、どんな理想を持っていたか。これを知らねば、彼を真に傷付ける事は不可能でしょう。

この時、いちばん大きなヒントとなるのは、彼が学生時代に使っていた教科書だと考えました。私は先ほど伝記を数冊読んだ為、彼の性格に見当をつけるようになっていました。学生時代、彼は素直な生徒だったのでしょう。反骨精神のあるタイプじゃありません。周りの大人のいう事を従順に聞いて、まっすぐ純粋培養された人だとプロファイリングしました。

私は彼の学校で使用された歴史や道徳のテキストを探し、入手しやすいものから読んでみました。私には難しくて今ひとつ理解できませんでしたが、今まで知ってる価値観と違った視点で描かれているので、なんとなく面白かったです。また、彼を教えていた先生達の著作も少しだけ読んでみました。これもまた難しかったので、結局は目を滑らせるだけに終わりました。

彼の仕事に関する本を色々と読んだ結果、彼の仕事がとんでもなく奥深いという事だけがわかりました。奥深過ぎて、私には一生かかっても半分すら理解する事は出来ないと悟りました。彼の仕事は何処から見ても劇的な物語が生まれます。意味が多すぎるのです。こんな仕事をやる人間は只者ではないと思いました。

しかし、彼の仕事の奥深さを知った所で、彼が傷付く言葉を見つけなければ意味がありません。


弱音を分析しよう

彼の仕事について多少の知識を付けた私は、もう一度、彼の伝記を読み直してみました。今度は、彼の身近な人達の日記も参照しながら読んでみました。すると、以前読んだ時とは違った印象を覚えました。それは「彼の仕事はかなり苦しそうだ」という事です。彼の仕事についてちょっとだけ解像度が上がった為に、仕事に全力で取り組む彼が痛々しく思えてきました。同時に少し尊敬の念も覚えました。あんな仕事をやり抜いた彼は、明らかに常人じゃありません。病的ですらあります。

彼が全力で仕事に取り組む姿に改めてショックを受けた私は、今度は彼が参っている時の発言に注目しました。精神的に疲弊している時なら、彼だって多少の弱音は吐くでしょう。そこに、彼を最高に傷付けるヒントがあるかもしれません。私は彼を少しは尊敬するようになったものの、憎しみを捨ててはいませんでした。私は彼の憔悴した時の様子や、その時に溢した言葉たちを収集するようになりました

憔悴した彼の声を集めるのは、楽しい作業でした。そもそも私は彼を憎んでいるので、彼が傷付く様子を見て悪い気はしません。ボロボロの彼を眺めながら「いい気味だ」と溜飲を下げました。しかし、別の感情も覚えました。

傷付いて弱音を吐く彼の姿を眺めながら、私はふと、自分の幼少期を思い出したのです。

彼のように孤独だった事。彼のように言葉を呑み込んだ事。彼のように、おかしい事におかしいと言わなかった事。忘却の彼方に沈んでいたチクリとする記憶たちが意識の表面へと浮かび上がってきました。とっくの昔に死んだボロボロの彼は、私の記憶の扉をこじ開けました。

私はとうとう、彼が他人に見えなくなってしまいました。私はいつのまにか、泣いている彼に寄り添えたのなら、どんなに良かっただろうと思うようになりました。不思議な話ですが、そうする事で自分も救われるような気がしたのです。私は彼に、幼い頃の自分の苦い思い出を重ねるようになりました。彼と私の境界は、徐々にあやふやなものとなっていきました。

弱った彼の言葉を収集するうちに、彼が辛い時に思い出すのはこういう事だろう、というのが何となく分かるようになりました。どうやら彼は仕事が辛い時、決まって同じ話をつぶやくようでした。それは彼が若い頃の、自由で楽しい思い出でした。


ついに見つけた

私は「これだ!」と思いました。この思い出こそが、彼が最も大切にしていた記憶でしょう。彼はこの時の楽しい思い出を心の支えに、あんな大変な仕事をやり抜いたのでしょう。この思い出こそが、彼の仕事に理想を与え、彼が生涯に渡ってずっと憧れ続けたものだろうと感じました。あくまで勘ですけどね。

この記憶はきっと、彼にとってかけがえのない宝物です。彼が机の引き出しにしまっていた、ささやかな記憶のかけら。

この美しい思い出を汚す言葉こそが、彼の心を最も傷付けるに違いありません。

私はついに、探していたものを見つけました。
あとはこれを言ってやるだけです。彼の墓前で強く念じてやるだけです。

本当に死後の世界があるのか、本当に死者にメッセージが届くのかはさておき、私は彼が傷付く言葉を言う為だけに、ここまで頑張って来たのです。


墓前(オンライン)にて

前々から、彼の墓参りに行きたいと考えてはいましたが、なかなか都合がつかず、更には昨今のコロナ禍で、今年中の参拝は無理だと諦めていました。しかしそこに一筋の光明が差し込みました。それはオンライン墓地です。

ある時、ネット上に作られた有名人の仮想墓地にお参りできるサイトを知りました。そこで、彼の名前が登録されているか調べてみた所、想像通りありました。さすが偉人です。彼のページに飛ぶと、どうやら参拝者は個人の墓標ページにコメントを残せるらしいと分かりました。

これは願ってもいないチャンスです。当初は墓前で念じるだけと想定していましたが、オンライン墓地ではなんと文字に残せてしまうのです。しかも、コメントは他の参拝者からも見られます。誰かに情報を伝達する事こそ言葉の醍醐味です。この場で「彼を最高に傷付ける言葉」を言い放ってしまえば、きっと最高に気持ちが良いことでしょう。

私は知恵を絞り「彼を最高に傷付ける言葉」をメモ帳に書き連ねました。自慢じゃありませんが、最高の出来栄えでした。彼はネットのアンチコメなんかで傷付くタマじゃない、と言われれば全くその通りですが、とにかく内容だけ見ると素晴らしかったと思います。私の思う「彼」の最も綺麗な部分を残酷に抉る言葉です。

しかし、この言葉を書き終わって、誤字脱字がないかもう一度眺めているうちに、私は何故だか泣いてしまいました。ぽろぽろと涙が止まらず、不思議と申し訳ない気持ちになりました。何に申し訳ないと思ったかは分かりません。ただ、胸が苦しくなりました。パソコンの前であんなに号泣したのは初めてでした。

涙が枯れたあと、私はメモ帳に書き連ねた「彼を最高に傷付ける言葉」を全部削除しました。自分で消した癖に、なぜか口惜しかったのを覚えています。

そしてもう一度、彼のバーチャル墓前にどのようなコメントを書くか考えました。私は少し考えて、短いコメントだけ残しました。


「あの世で楽しく過ごしてくれ、あなたが大好きだ」




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ここまでお読みになった方は分かるように、この記事は歴史上の一人物に過剰な自己投影をしてしまっているため、筆者でも分かるほど視野狭窄が甚だしいです。実際の彼は私が想像するのと全然違った姿かもしれません。しかし、そんな事はどうでも良いのです。彼が私にとって、切っても切り離せない存在になってしまった事に変わりはないのですから。


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