彼が「推し」になるまでの経緯
こんにちは。歴史上の人物を推している人です。
今回は、私が推しへの想いを拗らせていった過程について、自分なりに振り返ってみたいと思います。
今でこそ、推しの事をアイドル的なノリでカジュアルに推していますが、以前はアンチをやったりガチ勢のイベントに参加したりしていました。振れ幅が酷いですね笑
私の推しに対する執着心は、いわば呪いのようなものです。
この記事を書くに至ったきっかけは、ネットサーフィンする中で、歴史上の人物に激しい感情を抱く人が自分以外にもいるのだと知ったことにあります。
歴史上の人物に恋焦がれたり、激しく憎んだりする人の話を読んでいると「自分だけじゃなかったんだ!」と思えて元気付けられました。
私も推し(歴史上の人物、故人)に激しい感情を抱いています。それは一言で「好き」とか「嫌い」とか言えるものではなく、どちらかと言うと好きと嫌いの両方です。
最近は彼の事を「推し」というライトな言葉でラッピングする事で、この煮えたぎる感情に封をしていたのですが、そろそろ自分の中にある彼へのクソデカ感情を振り返ってみても良いんじゃないか、と思うようになりました。
そんなこんなで、自分の気持ちの整理も兼ねて、このnoteを書いています。文章が下手で読みづらいですが、まあいいよね。自己満足だし。
※彼の名前は敢えて明かしません。誰のことか分かってもそっとして頂くようお願いします。
彼を知ったばかりの頃
彼に関心を持ったのは、あるゲームがきっかけです。
最初の頃は、彼の名前を検索窓に打ち込んで、上位に浮上する有名なエピソードを読んで面白がっていました。その時は単に「可愛いなあ」とか「面白いなあ」とか、やんわりとポジティブな印象を抱いてました。
ここで留めておけば良かったのですが、私はその先へと進んでしまいました。
意外性に惹かれ、調べるように
なぜ先へ進んでしまったかというと、私の家系に纏わる一件が発覚したからです。細かい話は特定されるので避けますが、簡単に言うと、私の先祖が彼のせいで不利益を被っていたのです。(彼のせいと言い切ってしまうには語弊がありますが、本筋と逸れるので割愛)
その件を知って以来「あの可愛い人がこんなことするの!?」との意外性から、彼に強く惹かれるようになりました。彼について続々と疑問が湧き、次第にこう思うようになりました。
実際の彼はどんな人だったんだろう?彼は何を思って生きていたんだろう?
愚かな事に当時の私は、Twitterでちゃちゃっと検索すればその答えが分かると思い込んでいました。本当にその程度で分かるなら研究者はいらないのに。
Twitterで彼の名前を検索すると、まさに地獄とも言うべき光景が広がっていました。彼について多くの人が感情のままにある事ない事を叫び、互いに悪意を増幅させていました。まあTwitterはいつでもそんな所ですが、彼の話題となると熱量が段違いでした。
私はその様子を見て、更に興味を持ちました。あの可愛らしくユーモラスに見える人が、悪意にまみれた言葉の渦の、ど真ん中にいるのです。その構図は何とも滑稽でグロテスクに思えました。
フィクションじゃなく現実で、こんなにもゾクゾクするものを見たのは初めてでした。
好きになっていくと同時に、憎しみも深まっていった
彼のことが気になって調べれば調べるほど、私の頭は混乱していきました。
「可愛い!大好き!」という気持ちと「○ねば良かったのに」(このセリフを故人に言う時点でやばい)という気持ちの両方が同時に膨れ上がっていったのです。
心の中で彼をどう処理していいのか分からず、答えを求めてネットや書籍で調べまくりました。まるで取り憑かれたかのように。
私は彼を否定したい訳でも、肯定したい訳でもありませんでした。
ただ、「完全に好き」か「完全に嫌い」かのどちらかになりたかったのです。どっちかに振れば、葛藤せずに済みますから。
私は彼を好きになるため、あるいは嫌いになるための決定打を探して、彼に関する情報をせっせと集めるようになりました。今まで手出しもしなかった専門書や論文も頑張って読み、周辺人物や時代背景についても調べるようになりました。彼に関する事なら、学校の勉強とは比べ物にならないほど熱心にノートを取りました。
気付いた時には、暇さえあれば彼の事を考えるようになっていました。
彼がこの場にいたら何と言うだろう、とか、彼はここできっとこのように歩いて、この仕草をするだろう…とか。彼の事を考えすぎて、彼が古くからの友人のようにも思えてきました。もしくは小さい頃から知っている親戚の甥っ子でしょうか。
彼のことが頭から離れなくなった
彼について考えるのが習慣化したせいで、完全に深みにハマりました。愛おしさと憎しみを同時に掻き立てる人物の顔が、頭にこびりついて離れなくなったのです。(ちなみにこれを書いている今でも彼の顔が頭に浮かんでいます)
彼のことが大好きな筈なのに、無意識のうちに彼のミスとそれについての批判(というより呪詛)をびっしりとメモ帳に書いていました。彼のことが憎い筈なのに、何故か彼の写真を収集してうっとり眺めている自分がいました。
彼の素敵なところも狡猾なところもいっぺんに知ったせいで、好きという気持ちと、○してやりたいほど憎いという気持ちが絶えず交互に頭の中を巡るようになりました。
写真を眺めて彼を可愛いと思った数秒後には、狡猾な悪の体現者として憎んでいるのです。自分でも理解が追いつきません。
この現象の厄介なことに、彼を愛おしく思うのも、彼を軽蔑し憎むのも、どちらも本当の気持ちなのです。両方とも無視出来ないほど深刻です。
これは恋なのでしょうか、それとも別の何かでしょうか。
アンチになったりガチ勢のイベントに参加したのもこの頃です。
彼を自分の中でどう捉えて良いかが分からず、仲間を求めて色んな界隈を彷徨ったのですが、結局の所しっくり来る居場所はありませんでした。
アンチの輪の中にいると彼が不憫に思えてきて、今すぐ抱きしめたいほどに胸を締め付けられます。逆にガチ勢のイベントに行くと、他のファンの傲慢さに心底腹が立つと同時に、彼の卑怯さが身に染みて分かります。
私はたぶん、彼の事を全力で非難できるし、全力で称賛することもできます。
所詮付け焼き刃の知識なので専門家には敵いませんが、彼に関心がある当事者として、心から彼を憎み、愛おしいと思っています。
日常生活に支障が出てきた
彼への感情を拗らせすぎて、一時期は日常生活に支障をきたした事もあります。彼にのめり込むあまり現実の生活が疎かになっていきました。友人によると、その時期の私は、よく意味のわからない独り言を口走っていたそうです。(この時期のことはあまり覚えていません)
その時期、ちょっとした奇行(危険行為ではない)に走るようになっていましたが、色々あって自分を見つめ直す機会がありました。
彼を「消費」にすることに決めた
結局のところ、私は彼と対峙するだけの知恵も勇気も覚悟も持ち合わせていなかったのです。私は妄想の中ですら、彼に唾を吐くことを躊躇う凡人です。
このどっちつかずの態度では、客観的な批判を以て彼に復讐を果たすことも、真っ当に?崇拝する事も出来ません。そんな事に手を出そうとすれば、彼への想いを余計に拗らせ、更なる深みにハマるだけです。
それなら彼をどう扱えば、私の心は穏やかでいられるか。
そう考えた結果、彼をアイドルのように「消費」してやろうとの結論に思い至りました。
この方法であれば、彼への「好き」という気持ちを即物的ではあるものの満たせると同時に、キャラクター化して都合よく扱う事で、現実の彼を軽んずる事もできます。(酷い言い方)
架空のキャラクターと次元を超えて結婚した人の話はたまにニュースになりますが、私の場合はそれとは逆で、現実の人(とは言っても故人ですが)をフィクションの世界に押し込めようと試みました。
彼を「推す」ようになって
今のところ、この試みは上手くいっています。
彼を「推し」という言葉で包んで、ティーン向けアイドルのように「推す」事で、心穏やかに日常生活が送れるようになりました。
彼を「推す」ようになって、彼に対して抱いていた憎しみがだいぶ和らぎました。和らいだと言うよりも「復讐欲が満たされた」と表現した方が適切かもしれません。
彼はもうこの世にいませんが、彼のイメージを私物化し、とことん俗っぽく扱う事こそが、私が出来る範囲における最大の復讐です。(相変わらず拗らせている)
問題があるとすれば、「推し」というフレームに閉じ込めてもなお、彼の引力は凄まじいという事です。
彼の素敵ポイントを挙げればキリがないのですが、何せ最高に可愛いし、彼が仕事を頑張る姿は心の支えになります。最近もつらい事があったのですが、彼のおかげでだいぶ救われました。
「推し」になった彼は、歴代のどんな推しよりも私に癒しを与えてくれます。無邪気にはしゃぐ姿も、憔悴していく姿も、死ぬ間際まで、全てが愛おしくてたまりません。
そんな彼の「推し活」は最高に楽しいのですが、気を抜けば「推し」としての彼に溺れてしまいそうになります。まあこれは、依存心が強い私の問題ですが。
「推し」としての彼から元気を貰う日々が続き、彼への感謝で心が満たされる度に、再びあの疑問が頭をよぎります。
実際の彼はどんな人だったんだろう?彼は何を思って生きていたんだろう?
大好きな「推し」が実際にはどんな生涯を送ったのか、オタクとしてどうしようもなく気になってしまうのですが、今は頑張ってその衝動を抑えています。
あの人は可愛くて優しくて面白くて…それ以上考える必要はないし、考えたところできっと幸せにはならないでしょう。そもそも、自分のことさえよく分からないのに、故人のことなんて分からなくて当然です。
彼はアイドル、私はファン。
彼の可愛い姿を消費して、私は元気を貰う。
私は彼に感謝する。
シンプルに捉えるだけで良いのです。それが一番幸せになれます。
以上、歴史の教科書に載っている人にクソデカ感情を抱いた人の話でした。