考察:なぜここまで拗らせたか?
今でこそ、彼を「推し」として心のエナジードリンクにしていますが、以前は本当に憎んでいました。憎みつつも、好きでした。
大好きだけど大嫌いで、大嫌いだけど大好き。アクセルとブレーキを同時に踏んでるような、かなりしんどい心境です。
なぜ私は彼への感情をここまで拗らせたのか。その理由を気持ちの整理も兼ねて簡単に考察したいと思います。
※彼の名前はあえて伏せてあります。誰か分かってもそっとしておいて下さい。お願いします。
彼への感情を拗らせた理由の一つは、彼の存在が私のアイデンティティをざわつかせる事にあると思います。
私はもともと、伝統や信仰を重要視する人間ではありませんでした。
しかし、彼(歴史上の人物)と出会い、歴史に興味を持つようになって、自分のルーツを調べるようになりました。
そして、私に流れる故郷の血にアイデンティティを見出しました。これが、彼への感情を拗らせた最も大きな原因でしょう。
私の故郷が歩んだ歴史、私の先祖が歩んだ歴史…それらに心を寄せれば寄せるほど、彼らの流れを汲む自分も、価値ある存在のように思えました。血という後天的に変えられないものに価値を見出した瞬間、心地よい高揚感と安心感を感じました。
しかし同時に、彼が許せなくなりました。
彼が憎くて憎くてたまらなくなりました。
彼のことはもちろん大好きです。素敵な人だと思います。
しかし、自分のルーツに誇りを持つことと、彼を好きでいる事は、私の中では両立しませんでした。
もちろん、両立させようと試みた事はあります。私のアイデンティティと彼への好意を両立できる、よくできた物語を血眼になって探しました。だけど、しっくり来るものはありませんでした。ならば自分で物語を作ってやろうと試行錯誤もしましたが、なかなか上手い物語は作れませんでした。彼や故郷に対する解像度が下手に高まったせいで、なあなあに流す事が出来なくなってしまったのです。
これはいわば、故郷を取るか彼を取るかの二者択一です。
まあ、私が何を好きであろうと世界は何も変わらないんですけどね。厨二病と言われればそれまでです。しかし当人にとっては大きな問題でした。信仰みたいなものです。きっと。
いろいろ思い悩んだ末、私は自分の血に誇りを持つことを諦めました。
故郷の歴史を学んで獲得したアイデンティティを、極端に美化された故郷の幻想を、捨て去ることに決めました。故郷より彼を取ったのです。
穏やかな気持ちで彼を好いていられるなら、そっちの方が良いじゃないか。
祖先や故郷が何だ、血の誇りが何だ、それが何になるんだ。
いくら偉そうにした所で、強いものが勝ち弱いものが負けるだけだ。
それが自然の摂理じゃないか。生き物の勢力争いなんてどこもそんなものだ。
今更どんな恨み言を言ったって仕方ない。
現実を忘れた理想論で、何かが良くなる筈はないんだ。
私はそう言い聞かせて、彼への気持ちを正当化しました。
そして彼を「推し」として見るようになりました。
今は穏やな心境で、彼について考えることが出来ます。とても幸せです。