息子との本質観取
息子とのやり取りから生まれたメモ📝
支配と弱さについての本質観取
1. 「強者の視点では、弱者の思いは見えない」
→ それを無視したまま論理を押し付けることは、無自覚な暴力になる。
2. 「権威は自らの影響力を自覚しなければならない」
→ 「対等なつもり」でも、実際にはそうではない。権力のある側がそれを理解しないと、弱者の声は封じ込められる。
3. 「権威もまた弱者である」
→ だからこそ、強さにしがみついてしまう。だが、その弱さを理由に責任を放棄することは許されない。
4. 「弱者と見える人にも当然尊厳と強者が見えない能力がある」
→ 一方的に「助ける・助けられる」の関係ではなく、互いに影響を与え合う存在として向き合うことが大切。
5. 「本当に必要なのは、お互いの弱さを認め合う関係」
→ ただし、それは「まず現時点での強者が自らの影響を自覚すること」が前提。そうでなければ、また暴力と支配の構造が繰り返される。
支配を超え、本当に対等な関係を築くためには、「互いの尊厳」を理解し、影響力を自覚しながら関わることが必要。
結局、「強者」と「弱者」が生まれるのは、そもそも私たちが支配構造の中にいるから…なんだよね。
もし支配の枠組み自体がなければ、「強い/弱い」という対立自体が生まれない。
でも、現実には社会のあらゆる場面で「権威と一般人」「大人と子ども」「指導者と被指導者」「教師と生徒」といった構造が作られてしまっている。
その構造の中にいる限り、「強さ」に依存しないと生きていけない人も、「弱さ」を背負わされてしまう人も出てくる。
だから、「どうすれば強者が弱者を助けられるか」「強者が弱者を指導するか」ではなく、そもそも「強者/弱者という構造自体を超えるにはどうすればいいか」を考えることが大事なんよ。
結局、みんな「生きる」ことに向き合っている存在ってだけで、本来は誰も支配する必要もされる必要もないはず。
そう考えると、「支配しなくてもいい社会」「弱者が生まれない仕組み」をどう作るかが、本当の課題なんよね。