☆子どもにとって理想の学校のあり方は☆
NHK総合で岐阜県草潤中学校の「不登校のための中学校」が放映されました。
「子どもにとって理想の学校のあり方は」
学校制度の様々な不備が取り沙汰される昨今。教育機会確保法で不登校児童生徒には登校するように求めないなど、最低限の政策が出て来て久しいのですが、まだまだ実際の現場では周知されておらず、課題解決からは程遠いのが実情です😢
そんな中、岐阜県の不登校特例校という制度を利用して開設された、草潤中学校の取り組みが放送されました。
小学校からほとんど通学出来なかった、今も居場所のない状態の次女(中1の年齢)が、番組のオープニングの図書室の様子を観て、
"わぁ💖"と感嘆の声をあげていました。
"自分で学ぶ場所選べるの?いいなぁ🥺✨"
彼女の、心底輝いた笑顔を見たのはどのくらいぶりだろう…。滅多に喜ぶ事のない娘が、自分の感情を伴った感想を口にしてる…。
次女も三女もじっと番組を観ていました。
草潤中学校校長先生の"これまで学校の型にはめられて苦しい思いをしていた子どもたちに寄り添う学校に"という言葉に私は思わず涙が出てしまいました。
"こんな先生いるんだ…🥺"
私は、長男長女の学童期に理不尽な事があっても"学校なんてこんなもの…我慢して行かなきゃ…"と思い、子どもたちの心に寄り添う事なく無理矢理登校させていた頃の事や、
"予算がないんですよ…だから"と繰り返される学校側の言葉とともに、保健室の片隅や雑然とした倉庫の様な部屋に次女と親子で時々登校をして虚しかったあの頃の事とか、
学校に通う事を楽しみにしていた末っ子の笑顔が入学後どんどんと失われていった時の悲しさとか、
走馬灯の様に一気に押し寄せて来ました。
"窮屈な学校"の中に子どもたちが合わせている歪さ"が当たり前とされ、それぞれの子どもの個性や特性、困り事などはスルーするし、その子らしさが失われても型にはまる事が良しとされてきた社会の空気の中で、親子共々、学校に通えない自分たちを責め、子どもを責めている現状にいた私たち親子にとって、
"本来、子どもたちに学びの場を提供するという社会側の義務だったはずが、いつのまにか子どもたちが学校に行く事が義務かの様に言われて来た。既存の学校制度に合わない子どもたちが放置されて来た事は、本当は問題なんだ"という趣旨の京大の塩瀬教授のお話は、"やっとわかってもらえた!自分たちが悪いわけではなかったんだ…"と、これまでの苦しみが救われた気がしました。
また塩瀬教授は、
"不登校特例校という概念がなくなるのが大切。日本の学校が全て草潤中学校の様になる事が理想"だ、とお話されていましたが本当にそうで、今の学校制度そのもの、そして能力主義に偏った社会が変わっていく事が大切だと思っています。
小1プロブレム、いじめ、不登校、子どもの自殺の増加、ひきこもり問題…それは子どもたちに優劣をつけ、多様性を無視し、画一化が是とされ、生産性の視点のみで人間を教育してきた事へのツケです。
そのツケは日本の子どもたちの幸福度の低さが表しています。その子らしさを否定し、社会から押し付けられた評価基準、価値観の中でのみ生きることを子どもたちに強要してきた大人側の責任だと思います。
私自身は、活動仲間と一緒に学校制度から取りこぼされた子どもたち、家族、支援者の為の支援団体を運営していますが、そんな子どもたちは昔からいたし、年々増えています。何よりも子どもは日々成長するので、課題解決は待ったなしで、当事者の家族にとっては1分1秒争う課題です。
私たちは「すべての学校に『校内フリースクール』のような、通常の教室では疲弊してしまう子どもたちのための居場所を確保すること」の実現を希望していましたが、この番組を観て学校が、ハード面、ソフト面(教師、保護者、地域社会のマインド)が丸ごと変わらなければ校内フリースクールはあまり意味がないと感じました。草潤中学校の様に、子どもたち一人一人に寄り添いたい!と志願して来られた志ある先生方ですら、試行錯誤されているのですから。
日本の教育予算は、OECD諸国38カ国の中で下から2番目の低さです。
全国の自治体が草潤中学校の様な特例校を設置し、多様性を認め合う社会を目指し、子どもたちを心身共に健やかに育む為に全ての子どもたちの学びの権利を保障する予算を確保し、1人1人を大切にする教育の実現が不可欠なのではないでしょうか。
神戸市で、日本全国各地で草潤中学校の様な不登校特例校が一日も早く設立され、全ての子どもたちが、"生まれてきて良かった"と思える地域にしたいと、番組を観て切に願います。